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折口信夫遺墨集・釋迢空遺墨集等書道書お譲りいただきました。

折口信夫遺墨集・釋迢空遺墨集

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担当スタッフより

折口信夫遺墨集・釋迢空遺墨集等書道書お譲りいただきました。

私が、日光の二荒山神社宝蔵本の『後撰和歌集』(巻上・一冊)を、初めて一覧する機会に恵まれたのは、昭和二十七年の春。すでに二十二年も昔のことである。当時、博物館の小講堂で月例として開かれていた、名筆鑑賞会の席上であった。当時、二十六歳。学問には無縁の田舎出の一青年にすぎなかった私は、たまたま、厳島で邂逅した吉村忠夫画伯に誘われて、会場の人となった。その本は、かつて天海僧正が所持していたもので、飛鳥井雅経の筆と伝えるが、じつは平安朝の写本なのである。色変りの紙を、いく枚も重ねた美しい冊子の姿もさることながら、まず、何よりもその字が気に入った。

にあふれ、堂々としていて、いかにも男性的な筆跡である。何一つ専門的な知識をもたぬ私ではあったが、魅せられるように、その本に見入った。私と古筆との出会いは、 この日に始まる。

手に負えるかどうか、これを研究の対象としてみよう。私は、心に誓った。つてを頼って、まず、その本全部を鉛筆で写 し上げた。『後撰集』の写本が数少ないこと。 しかも、この二荒山本は、現存最古の本であることを知った。 とかくするうちに、古筆として散在する烏丸切や白河切、あるいは胡粉地切がいずれも、この二荒山本と同じく、十二世紀の写本であることにも気づいた。それらを可能のかぎり数多く集めて、二荒山本に比較してみたら、というプランが浮かんだ。私が古筆 農林の中に足を踏み入れようとしたのはそのころからのことであった。

とはいっても、これらの古筆は、それぞれ一幅一幅の掛物となっていたり、あるいは手鑑に貼り込まれたりしている。しかも、天文学的数字で取引きされる骨董価値のもので、容易に眼に触れることはできず、どこに、どのように秘蔵されているのか、皆目見当もつかない。茶会で見たといえば、飛んで行く。展覧会で見たと聞けば、夜行列車もいとわない。根気よく、網を張って、耳と眼と足とで稼ぐ以外に手がないのである。初対面の門前払いも、むろん覚悟の前。人それぞれの癖や、コツ、あるいは、手続や作法など、呑み込むまでが、ひととおりではなかった。公共機関の杓子定規、狭量の徒の邪魔立て、 あげれば切りがない。

もともと、一冊の冊子、一巻の巻物であった古筆を、こうした作業を踏まえながら、一葉一葉を拾い集めて、もとの姿に復原していくのである。これには、当世流行のコンピューターも効力はない。集めたものの筆跡の吟味、比較研究、系統的分類。本文異同の調査。料紙の装飾技巧の分類。これらに光学機械を使用しての調査を主軸として、美術史・歴史学・国文学・心理学(筆跡)……、その他あらゆる人文科学の部門を駆使した上に、古筆に、古筆学というジャンルの樹立を志向し始めたのも、そうした長い遍歴の果てに到達したものであった。私は、古筆学を生涯の学問とする決意を抱いている。ここ に、古谷稔君も私に続く一人である。

私が、東京教育大学の教室において、初めて古谷君と出会ってから、もう十年になる。その向学心と才能を見出した私は、すすめて博物館の美術課に、かれと机を並べることとなった。何事にも素直で、モノをじっくり見る。そして、飽きない。

ひとり専門の書跡だけでなく、すべてに興味をもって接する。絵画や仏像はむろんのこと、仏具や漆にまで手を伸ばす。私は、常々、かれに氷山のような、底知れぬ知識の必要を説いている。京都や奈良の旅で石のものを見ても、足を止める。歌舞伎や能、茶道、すべてを栄養に吸収して、学問のエキスとしようという態度が、私とともに古筆学の大成を目指す意図に一致する。

このたび、出版元を引き受けてもらった木耳社の田中嘉次社長も、私と同様、古谷君とは十年の知友。というのは、古谷君と初対面の直後の某日、新宿の酒亭に、一夜、三人が会した。盃を重ね、談論風発、一刻の歓をつくした。もともと、田中社長の話術と伯楽ぶりに畏敬するのは、私一人だけではあるまい。明晰な頭脳は、一度会うと、その人の奥底までを即座に見抜く。特異な才能である。古谷稔か、あれはいいよ。お育てなさい、と。その後、十年という永い歳月、田中社長は古谷君のPTAでもあった。かような次第で、この刊行を持ちかけたとたんに、一も二もなく即決。思えば、古谷君も仕合わせな男だ。

ところで、このたびの新著は、古筆学の基本資料を、広く提供する使命をもつもの。 かつて、大口周魚翁の蒐集の、こ の「月台」帖は、大正の末年に田中親美翁の手で、わずかな複製が知友に配られたにすぎない。博物館のガラス越しに、年 一度三度の陳列では、とうてい研究者を満足させるものではない。それにガラスを隔てては、隔靴掻痒も同然。幸い、こ いたが、博物蓮当局の許しと、田中社長の理解と厚意によって、刊行に漕ぎつけることができた。また、写真の三上四郎氏 には、みずからの創意による、蛍光灯による特殊撮影装置によって、会心のネガを作成していただいた。著者・写真家・出底花、冬れに配所の見事なチームワークによって、いまここに一書を成すことができた。まことに喜びにたえない。

四十九年五月


手鑑「月台」そのものについては、私なりの所感がある。何よりもまず、その中に所収される数々の名跡の美しさ、たくましさに心惹かれる。ついで、よくもこのような断簡を四方八方から蒐集したものだと、大口周魚翁の古筆への執念にうたれた。そして、最後に、国文学上の原本想定の一助ともなりうる、いわば標本としての役割を果たすことにもなろう、と。

私は、こうした筆跡が単なる記号として、活字同然の価値しか認めない人を見かけるが、やはり人間の美意識を昇華させた表現の一形式でもある書について、もっと広範な立場から注目すべきだと思う。私は、古筆万能主義を好まない。少なくとも、書に関する限り、中国・日本を問わず、素直な心にかえって受容すべき態度を身につけたい。そうした書跡研究の足がかりの一つとして、「月台」の刊行を夢見た。

一昨年の夏、これを提案して、小松茂美先生の賛同を得て、即刻、木耳社・田中嘉次社長へ取りついで出版に漕ぎつけて頂いた。小稿を成すにあたり、小松先生には終始懇切なご指導に預り、のみならず、草稿のすべてにお目通しいただいた。今日、こうして刊行が実現したのも、ひとえに小松先生の日頃のご薫陶のたまものと、深く感謝している。改めて、厚くお礼を申し上げる。

また、刊行にあたり、田中社長のご厚情も忘れがたい。私が小松先生に師事したのが、ちょうど十年前。殆ど同時のころ、木耳社が発足したと聞くが、当時から同社長にも側から見守られてきた。その間、根本謙三先生・伊東富士丸先生をはじめ、周囲の方々の支持をうけて、今日に至っている。そうした因縁を思うと、まことに感無量のものがある。三上四郎氏には撮影の面で一方ならぬお世話になり、それぞれの作品の特色をよくとらえて、同氏ならではの見事な図版が生まれた。さらに、編集部の渡辺志郎氏・島亨氏、および印刷を担当の同美印刷・グラビア精光社の方々に、献身的な助力をいただいた。いま、 ここにそれぞれの方々に対して感謝の念で一杯である。

昭和四十九年五月一

古谷稔


折口信夫遺墨集・釋迢空遺墨集になります。折口信夫といいましても、この本は民俗学の書籍ではありません。昭和49年に発行された遺墨集になります。非売品かつ限定版です。

折口信夫遺墨集・釋迢空遺墨集

折口信夫と松本平との関係は大正8年以来没年の昭和28年までの三十五年間に及びました。 年譜の示すように大正十、十一、十二年をはじめ実際に講演講義が行われていても資料がなく明確にできない点があります中央の指導者と地方との長く深い関係として、最も特異な例の一つではないかと思われます。

昭和47年9月日本民俗資料館における回顧遺墨展が機となって遺墨集刊行を希望する向きが多く、昭和48年9月3日20年祭を期して刊行の発足となりました。

このため折口博士記念古代研究所・東筑摩塩尻教育会・松本市教育会・南安曇教育会の賛助と所蔵者はじめ多数の協力により、予想を遥かに超えて600余点の遺墨を確認することができました。

遺墨集はこの中より各種400点を選んで編集をいたしました。中途に新しいものが見つかって加える等のこともあり不統一でまた不明の点が多いことをお詫びいたします。

数多い書簡を始め遺墨全体の記録写真は貴重なる研究資料として東筑摩塩尻教育会館の資料室に保管いたします。

調査撮影編集印刷観光に渉って多数の方々の助力を仰ぎましたが一々の氏名を省略いたしそのご苦労に対し深く感謝の意を表します

折口信夫遺墨集刊行会

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