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國學院大學所蔵の牛玉宝印等図録等3箱買取させていただきました

牛玉宝印(ごおうほういん)・祈りと誓いの呪符

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担当スタッフより

埼玉県蓮田市にて図録等3箱買取させていただきました。今回は3箱でしたので郵送にて送りいただきました。今回紹介させていただきますのは牛玉宝印(ごおうほういん)の図録です。そもそも「ごおうほういん」とは読めませんね。この種の図録はあまり見かけません。

図録買取

牛玉宝印(ごおうほういん)とは、諸社寺から発行・授与された護符の一種を言います。修正会や修二会など初春の まつりの中で作られ、信者に配布されます。牛玉宝印の牛玉とは、「最上のもの」の意とも説明されますが、普通には「牛黄(ごおう)」「牛の内蔵にできる高貴薬】のことと理解されており、これを混ぜた朱肉を用い、発行する社寺 の本尊・本地仏の種子や宝珠などをあらわした宝印を捺すことで、護符としての霊験を期待したものと考えられます。

牛玉宝印の発生については不明なことが少なくありませんが、鎌倉時代になるとそれが起請文(きしょうもん)誓約 書の一つ」を書く際に誓約の履行を強く神仏に誓うため、その料紙に用いられるようになります。牛玉宝印を用いた 起請文としては、文永三年(一二六六)十二月二十日の東大寺世親講衆等連署起請文が今のところ最古のものとされています。

こうした起請文には、史料的価値の高いものが数多くあります。牛玉宝印は、現在でも青森から鹿児島まで 各地の社寺から発行されており、戸口に貼るなどして招福・除災のまもりとしたり、柳の木に挟み苗代の水口に立て、 稲の無事の成育を祈願します。牛玉宝印には多く発行社寺名が描かれていますが、その中には文字のデザインとして 優れたものも少なくありません。

当館では民俗部門の展示テーマの一つとして「民間信仰」を取り上げ、これまでに『護符―祈りの版画」・「武蔵の絵馬」・「多摩の養蚕信仰』展などを開催しておりますが、本展はその流れの中にあるもので、今一つの視点から日本人の信仰生活の諸相の一端を垣間見ます。本展を通し、牛玉宝印と日本人の信仰について、その知識と理解を深めて いただければ幸いに存じます。

末筆になりましたが、東京大学史料編纂所の千々和到先生を始め、本展開催に当たりまして貴重な資料のご出品方 などご協力ご指導を賜わりました個人・諸機関の皆様に厚くお礼申しあげます。


こちらは國學院大學所蔵の牛玉宝印になります。

國學院大學所蔵の牛玉宝印

牛玉宝印とは、いろいろな社寺から発行される護符の一種で、正月・二 月の新春のまつり(修正会・修二会・おこない)の場などで刷られ、信 者に配付されるものである。通常、「○○社牛玉宝印」などの字が書かれ た紙に朱印がおされており、延命長寿のまもり、家内安全のまもりとし て尊重され、中世・近世には、起請文という誓約の文書の料紙に用いられたことがよく知られている。護符は翌年新しい護符を得るとお焚上げな どで消え去り、残されないことが多いから、通常は中世や近世のそれは残りにくいものである。だが、起請文の料紙に用いられると、起請文として、古文書として残されることで、現代にまで残ることがある。現存 する牛玉宝印のうち最古の物は、こうして残された「(東大寺)二月堂牛 玉宝印」と「那智瀧宝印」で、いずれも東大寺文書の中にある東大寺世親講衆等連署起請文の文永三年十二月(一二六六)の日付をもつものである(拙稿「東大寺文書にみえる牛玉宝印」『南都仏教』三九、一九七七年)。

牛玉宝印の中でもっとも著名なものは、「熊野牛玉」であろう。これは「烏牛玉」の名でよばれることが多い。烏と宝珠とで「熊野山宝印」とか「那 智瀧宝印」などの文字が書かれているからである。「熊野牛玉」だけでな く一般に牛玉宝印は、その発行社寺の名を書いた文字がカラスや蛇、鳩、鷹などを用いてレタリングされた面白さで知られるが、実はその本質は 朱印にある。朱印こそが呪力の源泉である「宝印」なのであって、それを紙におしたとき、他の社寺のそれとの差異化をはかるために、そうし たレタリングがなされたのだろうと考えられる(拙稿「『書牛玉』と『白 無生玉」「中世をひろげる』吉川弘文館、一九九一年)。

さて、牛玉宝印の集成は、主なものだけでもこれまでに四回行われて 一 いる。最初の仕事は相田二郎氏による「起請文の料紙牛王宝印について」 であろう。これは「史学雑誌」第五一編第四号から第七号にかけて連載された一九四〇年の仕事で、この中で氏は起請文の料紙として用いられ た牛玉宝印のうちの七七種について例示し、その発行社寺や牛玉宝印の 起源・変遷、あるいはその本質について論じている。発行社寺の所見の一 部などには誤りもあるが、その論の多くは、現在でも生きていると評価 できる。なお、相田氏は「牛玉宝印」と記さずに「牛王宝印」と記し、この論文は後年『日本古文書学の諸問題』(相田二郎著作集一、名著出 版、一九七六年)に収録されている。

二度目の集成は一九六二年に出版された中村直勝氏の『起請の心』(便 利堂)であろう。これは僅か八○○部という少部数の限定出版だったが、自分の所蔵にかかる三一の寺・社・堂発行の計四一種の牛玉宝印が美し い図版とともに掲載されている。この本も後に『古文書の心』(中村直勝著作集五、淡交社、一九七八年)に「福正寺の牛玉宝印」などの関連す る論稿とともに収録されている。

三度目の集成は『国史大辞典』第五巻の図版特集「牛玉宝印」(吉川弘文館、一九八五年)である。これは千々和が編集部からの依頼に基づいて東大寺文書・東寺文書などの起請文に用いられた牛玉宝印の集成とキ ャプションの執筆とを行い、編集部の一寸木紀夫氏にも写真集めをお願いして撮った行事で、同一社寺から発行された牛玉宝印も含めて全部で 一八点の図版を掲載している。なおこのとき、同じく編集部の前田求 熱氏からの情報で、前田氏・一寸木氏と國學院大學神道資料館で当時学 芸員をしておられた西牟田崇生氏のご協力を得て國學院大學図書館所蔵 「諸行寺牛玉宝印集』をはじめて拝見し、他に見られない何点かの牛玉宝 印を写真撮影して、その図版を掲載することができた。

四度目の集成は町田市立博物館の図録『牛玉宝印――祈りと誓いの 行 (九九一年)である。これは町田市立博物館学芸員の畠山豊氏 の展示企画に私と高橋敏子・小林靖・嶋津宣史の三氏が協力して、牛玉 全印に関する情報を提供するとともに、解説・キャプション・起請文の釈 文の執筆をしたもので、同じ社寺のものも含めて二二九点の図版を掲載している。このときの展示では、黒川直則氏や新藤佐保里氏らのご協力 をいただいて当時すでに重要文化財に指定されていた東寺文書や東大寺 文書などの出展がかない、また図録にはやはり國學院大學図書館所蔵『諸 社寺生印集』のほぼ全貌が収められるなど、現段階でもっとも多数 の資料を収録したすぐれた図録だと評価することができる。

そして今回が生堂印の五度目の集成となる。三度目・四度目の集成 とは異なって、今回の集成は、すべて國學院大學に所蔵される牛玉宝印 を集成したものというところに特徴がある。國學院大學には、大きく言 人は一つの中のコレクションがある。一つは前述した「諸社寺牛集』であるが、このほか神道資料館には景山春樹氏から寄贈された日吉社などの牛玉宝印と中村直勝氏旧蔵とされる牛玉宝印がある。さ らに近年購入した近世の起請文などもあり、また、COE等の調査の中 て収集されたものも次第に増加している。今後もそのコレクションの一層の充実が図られると思うが、この図録で、國學院大學が現在所蔵して いる牛玉宝印のほぼ全貌を明らかにしたいと考えている。

 以下、この図録に収めたコレクションに関して、若干の紹介を行うこ ととしたい。

A 『諸社寺牛玉宝印集』一・二 各地の社寺から出された牛玉宝印五三点を収集して折り本仕立ての二 冊に貼り付けたもので、第二巻の巻末にはまだ牛玉宝印の貼られていな い五葉が空白のまま残されている。奥書はなく製作者は不明で、外題は 題箋に鉛筆で小さく「諸社牛玉宝印集」と書かれているだけで、現在の 書名はあるいは昭和五十年(一九七五)の図書館受け入れに際して付け られたものかもしれない。京都のものが一七点ともっとも多く全体の約 「三割を占め、その他滋賀・奈良・和歌山の社寺を中心に、北は岩手県平泉町の中尊寺釈迦堂・金色堂から南は宮崎県西都市の国分寺まで、ほぼ 全国各地域にわたって収集されており、年代も多くは近代のものだが、 神仏分離以前の江戸時代のものも含まれている。ところでこの本には墨書の注記があることがあり、三三番の「多賀大社牛玉宝印」には「近江 多賀神社 享保年間ノモノ」と書かれていて、これを信ずるならば一八 世紀前半の牛玉宝印が含まれていることがわかる。ただ、この多賀大社 の牛玉宝印は朱印がなく、あるいは製作者のもとめによって、保存されていた版木から新たに刷られたものかもしれないし、それならばこの注 記は、版木の紀年銘によると考えるべきだろう。同様に社寺から発行さ れたというより版木から刷られたものと思われるものとして二三番の「石 山寺牛玉宝印」や三〇番の「白山宮宝印」などをあげることができよう。 これらの牛玉宝印版木には古い年号が刻まれていることが知られ、こう したものを収集しえたということは、この製作者が京都でよく知られた 牛玉宝印の収集家であったということを示唆しているといえよう。

そして製作時期に関する唯一の手がかりは、前述したような墨書の注記である。墨書は二三点に認められ、それらの多くは共通して牛玉宝印 の裏の端に鉛筆で小さく墨書とほぼ同内容の文が書きこまれている。つ まり折り本への貼り込みの前に、収集家によって覚えのために書かれた のがこの鉛筆書きで、それを貼り込み時に写して書いたのがこの墨書の 注記といえるだろう。そしてそれらの墨書の中に書かれた地名を見てい くと、たとえば三六番「根本薬師堂牛玉宝印」では、「京都市伏見区日 野法界寺」とある。京都市伏見区は昭和六年の区制施行であるから、そ れ以後の完成であることは間違いないと言える。また三○番「白山宮宝印」では「京都府宇治町白山町」とある。宇治町は昭和二六年に宇治市 となっているから、この牛玉宝印は多分その頃までの収集だろうと考えてよかろう。ただ三一番の「宝積寺牛玉宝印」には「京都府乙訓郡山崎町」 と墨書がある。山崎町は正しくは大山崎町のことだろうが、町制の施行は昭和四二年のことだから、墨書が正しいとすれば、この本の完成時期は、昭和四〇年代以降となる。とすれば、一応戦前から戦後にかけて収集された牛玉宝印が、この折り本に昭和四〇年代に貼られ、また第二巻の巻末に残り五葉の空白があることを考えると、収集家はまだこの本を完成することがないままこの本と別れ、やがて昭和五〇年に國學院大學図書 館の所蔵となったものと推測することができようか。

なお、『国史大辞典』と『牛玉宝印』(町田市立博物館)でも本書の牛 玉宝印の多くは収録されているが、そこでは一点ごとに牛玉宝印をばら して収録したので、今回はできるだけ現状に近い形での収録に努めた。

B 神道資料館所蔵の牛玉宝印 國學院大學神道資料館は昭和三八年に「神道学資料室」として創始し、 その後八王子校地への移転や一時的閉室などの時期を経て、昭和五三年に現在の常磐松三号館一階に「神道資料展示室」として開館、平成二年に「神道資料館」と改称した。その間に収蔵した神道関係資料は数多いが、 の図録におさめた牛玉宝印関係資料は、大きく次の五つのグループに 類することができる。 

(1) 初期の収蔵品 (2) 景山春樹氏旧蔵品

(3) 中村直勝氏旧蔵と伝えられる品

(4) 最近の収蔵品 

(5) 鳥羽藩御側坊主等起請文 以下、順に説明を加えたい。

(1) 初期の収蔵品 目録の一番から五番までがそれにあたる。多くは熊野三社の現行の牛玉宝印で、現在の台帳では「昭和五五(一九八〇)年一〇月一日受け入れ」と記入されているが、それ以前の神道学資料室時代に受け入れた資料も 含まれると考えられる。

(2) 景山春樹氏旧蔵品」 本学の卒業生(国史学科四七期卒)で、京都国立博物館学芸課長、帝塚山大学教授などを歴任された神道美術の研究者、景山春樹氏(一九一六-八五年)から寄贈を受けたコレクションで、本図録の六番から一二番までのものである。景山氏は比叡山麓坂本の山門公人衆の一つの杉生坊 の家の出で、自宅の新築にあたり神棚や倉庫を整理して出てきた多くの 護符のうちから古い牛玉宝印や護符の類を一括して昭和五七年に本館に 寄贈されたものである。このコレクションには、神仏分離以前の日吉社 の牛玉宝印や那智から配札をうけたものなどが含まれており、とても貴 重である。『国史大辞典』と『牛玉宝印』(町田市立博物館)でもこの牛 玉宝印の一部を収録しているが、そこではほぼ牛玉宝印のみの収録にと どまっているので、今回は原状に近い形で、包紙等と一緒の撮影を行っ たものもある。

なお景山氏は、この護符類の発見の経緯や一点ずつの考察を、「牛玉宝印と起請新出の日吉社牛玉宝印について――」(『神道史研究』第二九 巻四号、一九八一年)に詳述しておられるので、ぜひご参照いただきたい。

(3) 中村直勝氏旧蔵と伝えられる品 平成四年(一九九二)に京都の古書店から一括して購入したもので、本図録の一三番から二六番までの一四点がそれにあたる。古書店の説明では京都大学教授をされ古文書学研究で著名だった中村直勝氏(一八九 ●一九七六年)の旧蔵品ということだった。そのことを否定する材料はなく、京都から比較的近い社寺の牛玉宝印が多いことは間違いないの で、そうだった可能性は高いが、中村氏の著作である『起請の心』や『日 本古文書学』(角川書店、一九七七年)などの図版に掲載されている牛玉宝印と一致する資料が一点もなく、そのことを証明する手段は、残念ながら現在の所存在しない。もっとも『起請の心』の記述によれば、たと えば多賀大社の牛玉宝印に触れた説明の中で、「私蔵のものは何百枚かあって何十種かに分けられる」とある。とすれば、中村氏のコレクションは膨大なものだったと考えられ、氏の著作に使用されたものとの一致がないこと自体は、さほど問題とするにはあたらないであろう。

ちなみに、氏の収集された資料のうち、中世古文書の類は奈良県の大和文華館に双柏文庫の名で収蔵され、牛玉宝印などの類は静岡市の芹沢狂介美術館に 収蔵されていることが知られている。

このグループの牛玉宝印の中には、現在も発行されている福井県小浜 市の「御水送牛玉宝印」や、他では見いだせない「篠権現牛玉宝印」、「禰 布牛玉宝印」など興味深い資料が多く含まれている。

(4) 最近の収蔵品
本図録の二七番から三〇番までの四点がそれにあたる。いずれも熊野 三山の関係資料で、平成十四年(二〇〇三)に寄贈をうけたものと、平 成十五年のCOEの事業による調査で熊野本宮大社・熊野速玉大社(新宮)・
野那智大社等に参拝したおりにいただいた資料等である。 平成十四年に文部科学省によって採択された國學院大學二一世紀CO Eプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」による調査・ 研究が現在進行中で、その調査等の中でこうした資料の収集も続行され ることになっている。したがって平成十八年度に予定されている事業終 了年度までには、さらに多くの資料が収集されると期待される。

(5) 志摩国鳥羽藩御側坊主等起請文群 平成十四年の春、東京の古書店から購入した史料で、図版皿の(2)に掲載したものがその一部である。全体は四七通の起請文からなり、その他に後述するような「誓詞針」が二点と、四点の起請文以外の文書が含まれている。この起請文群の特徴は、次の三点に要約できる。

まず第一に、この起請文群は、志摩国鳥羽に居城をもつ大名稲垣家を藩 主とする藩の起請文群であること。四七通の起請文は寛政元年(一七八九) を初見として文久三年(一八六三)にいたる間のもので、そのうちの大半は、 御側坊主や御納戸坊主、さらには草履取りなどの者たちがその職に就任したときに、仕事を一生懸命にすること、また仕事の中で見聞きしたことを他人はもちろん家族にも口外しないこと、などを誓ったものである。

そしてその起請文の宛名は、幕末の鳥羽藩の分限帳(『鳥羽市史』上に所収) に出てくる藩士名と、その多くが一致することがわかった。したがって、この起請文群が鳥羽藩の藩庁に保存されていたものか、別に保存されて いたものかなど、伝来の詳細は不明だが、鳥羽藩に関係する文書群であ ることは、間違いないところだろう。

第二に、「誓詞針」が二本含まれていた。問題の針は紙に止められて、 紙の表には「警詞針」と書かれている。針の頭には針穴も開いていて、警 詞針」と書かれていなければ、何の変哲もない縫い針にすぎない。だが、 「警詞針」と書かれている以上、起請文に関わりのある針だとみなすべき ものである。とすると、それは起請文に血判をすえるために身血を出す ための針であったと考えるべきものだろう。

そして第三に、この起請文の大半の料紙(計一○八紙)に熊野牛玉が 用いられ、しかもそのうち一〇四紙は熊野本宮の牛玉宝印だということである。一般に、近世の起請文には、熊野牛玉が用いられるのだが、そのほとんどは「那智瀧宝印」であり、熊野本宮の牛玉宝印がこれだけま とまって用いられている例はきわめて珍しい。しかも、この本宮の牛玉 宝印を子細に調査してみると、いずれも共通する欠損があり、しかもそれが徐々に拡大していることが見て取れた。つまり、六〇年以上にわたって、同一の版木から刷り出されていた牛玉宝印が用いられていたこと が確認できたのである。

この起請文群については、昨年度からCOEの事業の中で調査が続行中であり、他にもさまざまな新知見をあたえてくれているが、残念ながら本図録では、頁数の関係でその全体を掲載することが叶わない。近い将来、全文書の釈文とともに、その全貌を紹介したいと考えている。

 

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