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山田正平作品集

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担当スタッフより

山田正平作品集

山田正平作品集

中 川一政
山田正平さんに何処で逢ったのか覚えていないが可成り昔のことである。最初 銅印を彫ってもらっている。

その後、私は小杉放庵のところで錢痩鐵を知り、皆と一緒に三つ四つ彫っても らった。錢さんの印は温厚で厭味のないもので愛用していたが、私のがだんだん 頑古になるに従ってもう少し強い印がほしくなった。

金冬心の事で正平さん、池田古日、真田但馬、國安芳雄、保多孝三など時々会 合をするようになり正平さんに頼んだ。白字の中川一政印や陀羅尼印など会心の 作品で、正平さんの心がしみこんでいるような印であった。

「一止廬印存」でみると赤羽雲庭さんの印、遊雲魚、赤羽源印、雲庭などに傑作がある。

私達がよく会合した当時、「忘牝牡驪黄」とか「飛鳥出林」などを日展に発表していた。油が乗っていた頃だと思う。

真鶴の家へ集った時は皆海へ行って泳いだ。その時正平さんは半紙を四つ折りにした帖面を持っていた。それが正平さんのスケッチブックで、いつも懐に持っ ていたものらしいが、裸になる時わかった。

私には見せなかった。私が正平さんが画をかいているとはうすく聞いていた が、正平さんの画を見たのは正平さん歿後の事である。

正平さんの画は中国人が見たら何んというかしらないが、私は宛然中国人の画だと思った。

正平さんは酔いがまわって蕩然と座っていて何も云わない。しかし人の言葉が 自分の考に適ふ時は実に意を得たりという顔をする。正平さんは確固たる考えをもっていた。しかし自分の考えよりいい考えがあるのではないかとたえず思って いたのであろう。それが精進する人の心だ。

「古者言之不出恥〜之不逮也」論語

正平さんは中国へ行った。私は最もゆくべき人が行ったと喜んでいたが、病気 になって帰って来た。 仕事はこれからと思っていたろうと思うと残念である。


こちらは朝鮮満州旅行案内、昭和11年発行の小冊子です。各種図版が収録されています。

三省堂旅行案内部編

満州帝国国歌

朝鮮南部交通図

朝鮮北部交通図

満州国南都交通図

満州国交通図

日満交通図

朝鮮満州旅行案内


本朝文粋注釈・2冊 柿村重松氏の著で再刊版になります。

本朝文粋注釈 再刊の序 

亡父柿村重松の生涯をかけた著作「本朝文粋註釈」の再刊をみるに至ったことは、学界 のために喜びにたえない。また同書の価値を認識し、斯界の要望にこたえてこの業にあた った富山房青池竹次氏を中心とする方々の尽力には感謝の外はない。ちなみに本書初版を 発行した内外出版株式会社は、その後、内外印刷株式会社として富山房坂本社長の経営す るところとなって今日に至ったことも、この度の刊行にとって幸運というべきであろう。 

本朝文粋の解説は、著者の叙説につきているし、本朝文粋註釈の価値は、学士院授賞要 旨「要スルニ本書ハ著者が本朝文粋「就キ多年真摯且周密ナル根本研究ヲ累ネタル結果、 其ノ本文ヲ校勘シ、故事成語・出典ヲ明カニシ、意義ヲ釈シタルモノニシテ、本朝文粋ハ 千載ニシテ乃チ一ノ忠臣ヲ得タリ。一語ヲモ尚クモセザラントスル著者、精神ハ全篇ヲ通 ジテ明白ニ認メラレ、其ノ努力真に推奨ニ値ス。而シテ著者研究ノ結果ガ学界二寄与スル功績実二多トスベシ」の一節にうかがわれる。

今は、父の自叙伝的記録「松南雑草」によ って、父が自己の努力によるとはいえ、恩師・先輩・知己に守られてこの業を達成した経過を次に略記するに止めたい。 父は明治十二年佐賀県唐津市に出生、明治三十八年東京高等師範学校研究科を卒業した。 二十三歳頃より日本漢文学史研究を志し、卒業の年に本朝文粋研究にとりかかった。出版 のめどもなく、病軀にむちうちつつ、大正三年頃一応本書の稿本を成し、恩師服部(宇之 吉)博士の閲覧に供した。これを激賞された博士は松井(簡治)博士と議し、父を啓明会 に紹介し、出版費補助の請求をするようにすすめられた。一方、父と同学芳野六助氏もま た芳賀(矢一)博士を通じて啓明会に出版援助を依頼された。こうして大正九年啓明会の 出版費補助は決定した。次に出版社の問題が起る。服部博士も諸方にあたられたが、結局、 京都の小川(琢治)博士に依嘱されたところ、博士の斡旋により内外出版株式会社で引受 けることになった。大正十年六月より組版着手。しかるに校正多忙の十二月三十日、かね て病弱の父を助け、乏しい家計より研究費を捻出していたわが母は病に倒れた。大業よう やく成ろうとして、父は内助の妻を喪ったのである。大正十一年父は福岡高等学校教授となり、その四月十日に本朝文粋註釈は刊行された。父はこう記している。

美しき妻を亡って其の後に、結婚以来貧と戦い、病と戦い、心血を減ぎつくして著作 し印刷したこのぼう大な二冊の書巻を得た。自分は之をひしと抱いて消然として泣かざるを得なかった。 妻操は享年三十五、常に窮乏にありてよく家事を理め、予をして専心学に従うを得し めき。予が著書将に世に出でんとし、事ついにここに至る。千秋の恨事というべし。 父はこの切なる心情を初版の書でもらしたかったのであるが、同書は恩師知己の恩春に よるものであるからとて、私情の記録は思い止った。だが父死して三十七年、敢て父の悲 痛を記す次第である。

大正十一年十一月服部博士より本朝文粋註釈につき帝国学士院に授賞申出をするから、 同書の重点を通知せよとの指示があった。父は重なる師恩に泣いてこれに従った。大正十 二年一月芝野六助氏より学士院委員会で審査決定した通知があり、ついで三月服部博士ょ り恩賜賞授与可決した通告があった。同年五月二十七日父は伴うべき妻なく学士院での授 ・賞式に列した。その後、病床で「倭漢朗詠集考証」「倭漢新撰朗詠集要解」「列子疏証」等 を著わし、昭和六年七月その苦闘の生涯を終えた。 右いささか室家の事を述べ、改めて父によせられた芳情を偲ぶ所以である。 昭和四十三年五月二十日|

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