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落款花押大辞典・上下など各種美術書・工芸書宅配買取にてお譲りいただきました。

落款花押大辞典・上下

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青森県 南津軽郡 大鰐町
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担当スタッフより

落款花押大辞典・上下など各種美術書・工芸書など31箱お譲りいただきました。数が多いので、紹介しきれませんが、貴重なものもお多くありがとうございました。

落款花押大辞典・上下

人にせよ物にせよ、その真贋を見究めることはなかなかむつかしい。 人のことはさておき、物の価値判断の基礎となるべきものは、この真贋の判断にあると いっても過言ではない。もちろん、物一般についてのことであるが、これが美術品となっ た場合、この真贋の判断こそが、その物としての美術品の価値をきめる、大きな要因となる。 一方では、美術品としての価値は、真賃などという判断を越えて、純粋に、美的な価値 判断こそを優先すべきであって、それがすべてであるべきだ……という議論もあるが、物 が持つ意味は、そんなに簡単なものではないのである。

茶道具も含めて、ひろく美術品の価値を判断する場合、第一に時代であり、第二に作者 が問題とされる。

今日のごとく、美術品の作者が、作家としての個性的自覚と独立がない時代の物となれ ば、その美術品の時代考証が第一の関門となる。時代考証の手順については、専門的立場 からの鑑定がなされるが、その中で、作風なり作者名からの鑑定資料がある場合には、こ れが決定的な意味を持ってくることになるのである。

作られた物と、作った人との間に、これを結びつけるものとして、古くより落款と花押 とがある。 落成款識の略が落款である。

書画が完成したとき、筆者自らがその作品に署名・製作年月を書き、ときには、詩句跋文を記入して、印を捺す。これが落款の正しい意味である。これはもちろん中国に起源 するものであるが、これが日本での伝承の中で、多様な変化をとげる。

花押は華押とも書くが、名を署した下に書く判のことで、自己の書であることを証明するためのものである。その形態には、中国の影響もあるが、わが国独自の発展をみたのである。

この落款と花押とが、ときに併用されたり、ときに単独に書かれたりして、その物に付 随してまわり、作られた物と作った人とのつながりの 証 の役目を果たすことになる。

ところで、歴史の風雪は、情容赦もなく、物と人とをひきさいてゆく。物は美術品とし て伝承されても、作者としての人は、この世には存在しなくなり、物だけがひとり歩きを はじめるのである。

ここで、物としての美術品の真贋を判定するため、すなわち、物と作者とを結びつける、 いわゆる鑑定作業が必要となってくる。

古くは室町期以降、書画の鑑定が行われ、目利上手が珍重がられ、古筆鑑定を専業とす る者さえ出てきたのである。その際に、鑑定作業の基本的な条件として、この落款花押が 機能することになったのである。

従来、この落款花押を索引するための、簡単な手引書は、わずかに刊行されていた。し かしこれらは、きわめて少数の専門家を対象とするものであり、したがって、組織的な体 系だった編集はなされていなかった。

昨今の、美術品、特に日本の歴史的美術品に対する関心のたかまりの中で、この『落款 花押大辞典」の刊行は、待望久しい、必須的教本的な出版となった。 編集には数年の歳月を費しての刊行である。読者とともに、そのよろこびをわかち合いたいのは、監修の責を負わされたが故だけのことではない。美術界にとって、当然あるべ き出版が、ようやくにして完成したというよろこびである。

監修に際しての基本的な構想は、凡例に記載されてあるとおりだし、企画・編集の作業 の進行についての詳細は、臼井史朗氏が、巻末の跋文に記されているので参看ねがいたい が、編集の実務を担当された、磯部隆男、安田博、伊藤里美、武内智里、藤井由美子、鳥 飼ゑり子氏ほかには、心から感謝申し上げる次第である。

一冊の本としてまとめあげられたものは、誠にささやかであるかもしれないが、多くの 協力者の援助なくしては、この形をととのえることはできなかったにちがいない。

物としての形の背後に、人の和を得たということ。それは、物に付された一片の落款花 押を手がかりに、その物に生きる人を知るのと、まったく同じことなのである。 本書がひろく、美術愛好家の手によって、歴史に生きることを念じて、あえて序とする 次第である。

昭和五十七年十月 小田栄二 古賀健藏


増村益城

高野先生と私

高野先生の作品に初めて御目にかかったのは私が奈良にいる頃で、昭和の初めに京都の美術館に文展が来た折であって石棺形の箱(「静動文庫」)と記憶して おります。上京して間もない昭和十年頃、熊本の学校の卒業生が何かの目的で集合する機会を得て、三越の家具部に勤めていた方、先輩一人、友人と私の四 人高野先生をお待ちした訳である。高野先生は着物姿でステッキを片手においでになりましたが立派な風姿と光る目が印象的でした。紹介されても田舎者 のれは何の言葉も出なかったと記憶しています。やがて先輩の一人が高野先生方に入門したので時折友人と御伺いするようになり、一歩、一歩と先生にも近 づけるようになりました。丁度紀元二千六百年(昭和十五年)を記念して奉祝展が開催され、私も初めて入選いたしました。嬉しさのあまり長男、家内二人し て高野先生のお宅を訪問して大変喜んでいただきました。私はこのことを肝に銘じ、以来制作意慾を燃やすよう今日まで勤めています。

戦後の混乱期は社会ばかりでなく美術界もさまざまであったらしく、昭和二十三年工芸の方にも「漆芸作家大同会」という団体が生まれました。そして昭 相 十八年には全国から多数の支技者を得て高野先生が会長に推されました。毎年春には漆芸大同会展を開催し、秋の日展その他の制作活動のため、真剣な 研究等をたびたび開き、われわれ若輩の登竜門としても大いになじめる会だったと思います。

高野先生の御指導は勉強はもちろんのこと、遊びの勉強も堂に入ったもので、会合の余波私共の家にも良く立寄られたものです。酒がはいると熊本弁の早 山で熊本のやんちゃ時代の物語りからはじまり、いろいろな話をよく聞かされました。最初は解らの所が多かった話も回が重なるにつれ熊本人の私には内容 も解るようになりました。

京都の苦学時代から美校時代と苦学、求技談はつきる間もなく、次から次へとよく覚えておられたものです、大正の艶歌、替歌の面白さ、民謡等一節だけ 吹われるのですが、その節廻しのうまさは天下一品、あの鋭い目もこの歌が出る時だけは別人のようで我が意を得たりと目を細め、口を少しとがらせて最高の笑顔……。側に居るものもともどもに良い気分に誘うものでした。「夏は盆踊りによく行った」と民謡等歌いながらのしなやかに踊られる様は玄人はだし、 あんな大きな物でよく手足が柔らかく動くものとただただ感心したものでした。酒もこんなに楽しく飲めたらさぞかし美味しかろうと思いながら一緒に飲むと つい度を越してしまうのでした。

こんな楽しいひと時を持ち、また豪放磊落な面もありながら、制作の時の真剣味あふれるそのものから生まれる幾多の緻密な作品、私共には中身の解らぬ 異質な人のような気もしてなりませんでした。

「重要無形文化財保持者に決った頃、変塗見本手板五十枚、「縞文様木地蒔絵手箱」、「牡丹文様木地蒔絵手箱」等、素地制作から時絵下塗まで、私の所で御手 伝いいたしました。その頃もよく散歩に来られました。老松町の自宅から椎名町四丁目までバスで、それから徒歩です。太い根鞭のステッキをつき、手編みのベレー帽をかぶり頭の毛をふわふわさせながら歩いて来られました。ある日玄関先に、よいしょよいしょと腰を降ろし「椎名町からここまで千四百五十何歩あったばい」と一歩一歩数えて来られたようです。車の少ない昔のことだから出来たようなものの、道が狭い今日では車が多く、数をかぞえていても車にお どされる度に忘れてしまうでしょう。

何事も計算づくでゆっくりと制作なさる先生も昭和三十年代の「牡丹文様木地蒔絵手箱」の制作の折は新築引越であわただしい日々での制作だったのか目算通りには行かず、徹夜徹夜で大分無理をしてやっと出品日時に間に合ったようでした。昭和四十年代「乾漆弱蒔絵飾箱」を制作の折、箱の甲の鶉の文様が出来上った時点で、突然鼻からの出血騒ぎがあり、この時も医師(桐野一文博士)からの絶対安静の言を聞き入れず、側面のススキの文様を完成なされたとか、 K郎もおされてものも言えなかったそうです。人間の精神力と言うものは……。そうでなければ特別人間かも知れないと、ただただ驚くばかりです。

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