鴨居玲画集 夢候ほか各種美術書買取事例。このほかにリトグラフもお譲りいただきました。貴重なものをありがとうございました。
一昨年の春,知人に誘われて立寄った銀座の日動画郎で,私ははじめて鴨居玲さんの個展をみた。いや この絵が飾られていた壁面や,会場の人々の様子などをはっきり覚えている。
1982年 私』と題する二百号の大作であった。画面の中央に横長の白いキャンヴァスが置かれ、 2次と虚空をみつめている画家らしい人物が描かれ,その周りをさまざまな表情の人たちが取り巻いている絵であった。
何も描かれていない白いキャンヴァスと,その前で放心している画家との対比が妙に印象的であった。白いキャンヴァスはあらゆる可能性を秘めてこの画家と対峙している。そんな決定的瞬間を捉えた画面に私はつよくひかれていた。だが,この画家の周りに寄り添うように集っているのは一体どういう人たちだろう。
勲章を下げた老人, セロ弾き,廃兵,道化師,肥った女,股子に興ずる男たちが画面いっぱいに描かれてて、 スボーれらの人物は,みんなこの画家の過去の作品に登場するモデルたちらしい。ブラジルでの放浪、スペインフランスでの長い滞在など,その折々に彼が深くつき合った人たちである。それは彼の永い 以上の回想につながり,その一人一人はみな彼の分身といえるほどに親密な人たちである。 まれにしても,この画家の描く人物はどうしてこんなに暗い表情の持主たちだろう。世間の片隅に生きる 、 とかグロテスクだが,無垢な人間的な一面をのぞかせている人たちばかりである。 はじめて、この個展会場に入ったとき,いままでみた日本人の画家とまったく違った印象をうけた。
私が何んとなくゴヤの作品を思い出していたためかもしれない。初期のゴヤは華麗に着飾ったスペイ 台廷人を描くが,『鰯の埋葬』とか『サン・イシードロの泉への巡礼』などの後期の作品になると、グロテスクでありながらきわめて人間的な下層民をおどろおどろしく描くようになる。題材ゃ 私はゴヤとの共通点を考えていたのだろう。
彼の描く『教会』には窓がなく,人っ子一人いない茫漠とした原野にポツンと一つ置かれている。何んとなくスペイン的な風景である。
また『戦と老人』などにみられる画面も,相変らず暗い色調であるが,西欧の人たちは を恐れない。むしろ詩的なイメージを感じる。蛾は灯をこがれ,詩人は光を求めて死ぬというか、 一連の作品はこの画家の詩的世界への憧れを表現したものであろう。
その他,『自画像』『石の花』『蜘蛛の糸』『宴のあと』など印象に残る作品の数は多いが、 は深く沈んだ色調をたたえている。この色の秘密は,最初の下塗りが赤で,その上にさまざまな んでいく独特の手法から生まれるものときく。
また多くの絵の中に登場する人物の表情,心象に迫る描写は,永年修練したたしかなデッサンカート のと思われる。
昨年,私は所用で富山に出かけ,たまたま金沢で一泊した。翌朝出発前の短かい時間をさいて石川さ県立術館に立寄った。 美術館の正面に, 銀座の画廊でみたあの「白いキャンヴァスの絵」が飾られていた。 はまたも偶然の出会いに驚いたが, この絵は個展のあとこの美術館の買上げになったということであった。
再会した『1982年 私』の画面中央の白いキャンヴァスは、最初の出会いと同じようにこの画家の初心をつ よく私に語りかけてくれた。
(川島 勝訳)