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装幀図案集・津田青楓等美術書買取させていただきました

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担当スタッフより

埼玉県草加市にて装幀図案集・津田青楓等美術書買取させていただきました。多数あって紹介しきれませんのでいくつか気になったものを順次ご紹介いたします。

こちらは装幀図案集・津田青楓昭和49年 昭和4年の復刻

装幀図案集・津田青楓・新村出序文

芸艸堂から装幀図案集という、昭和四年に発行された美しい本が今度複刻されて再発行されることになったので何か序文に最近の感想を書けとのことであるが古い日誌を調べてみた。「其年は私は五十歳、今九十五歳、隔世の感が無きにしもあらずである。 そのころは青年層で左翼思想が流行して左翼に非ずんば人に非ずと云う 社会の風調だった。河上博士が大学の教壇を下りて野に下り労農党に入 党されたり、翰墨会という風流の遊びごともやっていられなくなり、河 上博士が京都を引払って上京される送別会が縄手の料理屋であった。集る人々は大学教授の佐々木、河田、狩野先生それに私も参加して一席を 催した。席上白扇に『燕趙悲歌』という有名な詩を書かれて、傍に侍し ていた赤万屋のお内儀さんに与えられた。其翰墨会をやる時は赤万屋の お内儀さんが座興をそえていた。

顧みればあのころの本の装幀というのは中々凝ったものだった。小説と云わず随筆といわず、今でいう豪華版だった。Hという本屋ができて 堅実一点張りの本を出すようになって、一般出版社の風調も変ってきた。 実利主義一点張りで、クロース張りの味もそっけもない本を出すように なって、私達装幀専門の画家には、余り御用がなくなり、従って木版の 彫刻専門の井上凡骨とか、又摺師の職人なんかも職をうしなった。 「私はよく下町の摺師の職人の家へ出かけて、見本摺の校正を親爺に見 せていろくと小言を言ったものだ。其頃職人の炉辺というものはお内儀さんが雑巾を持って拭いてばかりいたので、板張りの茶の間兼客間は てかくに黒光りにひかっていた。そう云う時代の職人の気風はなつかしい。

芸艸堂の本田君とは三代に渡っての古い知り合いで明治三十四年に私の処女出版津田青楓図案集『宮古錦』を京都で出している。この度縁あ って再び立派な本にしてくれることをうれしく思っている。
昭和四十九年十月

新村出 旧版序文
装幀芸術の近年ますます隆盛に赴きつつあることは、愛書家の知り読書子の認むる所であって、芸術家が相尋いで装幀に霊筆を揮ひ意匠を凝らすに至ったことも、我国に於ける書物芸術史上空前な現象だと申してよろしからう。是時に方って津田青楓画伯が、多年の間世にあらはされ来たった所の装幀を再製模 刻して、之を装幀図案集と名づけて頒布されるのは、時機に適したものである。

支那と欧州とは姑く措き、本邦の装幀界にあっては、書画の表背と巻本の装 演とに意匠を尽くしたことは、人の知るが如くである。殊に書画の表背に関し ては、技巧の発達驚くべきものがあり、之についての文献も少からず存する。 巻本の快簀も亦それに次いで古く優麗を極めた意匠を見たが、この方は冊子本 の流行と共に早く廃たれて伝統を絶ってしまった。いづれにしても是等の装幀 は、材料としては染織物の利用にとどまり、未だ画家の領域には入らなかったのである。

冊子本の時代に入って、中古以降書物芸術の進歩には、われらの眼を驚かす ものも多々あるけれども、特に書物の外被の装幀の上に技巧を凝らした形蹟に 至っては、案外少いやうに見える。それも写本の表紙にはかなり美しいもの 無いではないが、版本となると古米装幀の意匠はよほど蔑視されたのではなかったかと思ふ。むろん表紙に名家が筆を染めた蹟のあることは、文献上の徴証があり、装幀に結構な意匠を加へた事実は、記録にも実物にも存するには違ひないけれども、それらは皆写本時代のことであった。版本に至っては、例へば春日版にしても高野版にしても五山版にしても、均しく別段装幀と称すべきも のがない。

版本盛行の江戸時代になってから、書物芸術の卒先者であった本阿弥光悦の 能筆と図案とに成ったと云はれる所の光悦本があらはれるに至って、本紙に或 は雲母を引き或は五色を用の、雲母模様に草花や鳥獣をぬがきなどしたが、表 紙は割合に粗末であったと言ってよい。染色を使ったとはいへ、さまで卓越したものとは称しがたい。その他紺表紙丹表紙さてまた渋柿色の表装にしても、乃至はいはゆる青標紙といひ青本といひ、或は黒、或は黄、或は赤、時に唐草 の模様をすきこみ若しくは絵画を彩どり、時に題簽や表袋に多少の意匠を加へたものにした所で、之を書画または巻本の装幀に綺羅を尽くし来たった例に照せば殆ど比較にならないのである。

日本の表装の技術が中世末朝の工芸の影響を受けて斯くの如く発達したと同 じく、近時の装幀が西洋の書物芸術の感化に負ふ所大なることは言ふを要しな い。我が中世期にあって表装界には工匠間既に幾多の術語が存し、例へば修神 また補絵などといふ名称が行はれた。その他様帯といひ装演といひ、支那伝 来の術語が中世古代しばしば用められた。之に反して典籍のがはにあつては、製本といふ語が俗間に行はれたのを除いては、漢学者が支那の熟字を用ゐた場 合は例外とし、いはゆる装釘また装幀の文字に当るやうな術語は全く見掛けら れなかった。

然るに明治末期或はむしろ大正時代に入って以来、まづ装釘という文字が普 及するやらになった。益し最初は英語のブックバインデイングの訳語として用 あられたのであった。支那には六朝時代既に釘装の語あり、下って明清時代の 辞書に装釘ならびに釘装の熟字が見えてゐる。釘書といふ語も同様に辞書にあらはれて来る。十九世紀初期以降、英支対訳の辞書が編纂印行されるに及んで、 初めは釘書および釘装の文字を以て訳出せられ、幕末明初の英和辞書にも、ま づ釘装の訳語が輸入されたのである。然しそれは訳語として存在しただけであ って、未だ実用されるには至らなかった様である。

明治末期大正年間に於ける文運隆盛の結果、遂に装釘という名称が弘通する に至り、大正期の国語辞書にも登録されることとなったけれども、トジルといふ意義を有する釘の字は趣味を損ずる嫌があると感じられてか、近年は口の字 を以て之に代へ、装幀の新熟字が用ゐられるやうになった。口の字は、支那にても古代には存せず、宋の丁度等の編纂にかかる集韻に録せられたのが、辞書 に著はれたのでは最も古い。広韻の隆の字にあたる文字で、幀はもとトウなど と読むべき文字で、意は開帳画絵也とあるから、張られたる画絹のことである。 音義共に尚は説明を加ふべき点があるが、ともかくもソウテイと読むことは正 しくはない。然し表装の意匠に重きをおく時勢に於ては、相応はしい熟字であって、文字用語の推移は、趣味の変遷と斯芸術の向上とを語って余りあるもの と云へよう。

いま青楓画伯の装幀図案集まさに世に出でんとするに臨んで、日本装幀界の 古今を通観して以て慶意を表はす。
(昭和四年十一月十八日)

こちらは東西古織錦繍展観・正木直彦文・大正15年、展観とありますので正確に言えば図録になります。薄めの小冊子。

東西古織錦繍展観・正木直彦文
錦繍花布数百千種・かくの如き古今東西にわたりたる宏博なる蒐集は我邦に於て未だかつて見ざりし所なり

山中商会主山中氏新に海外より錦繍花布数百千種を将来せり。余之を一瞥したるにその蒐集の範囲は縦に二千年を貫き横に三十余国を綜へたり。此の如き古今東西にわたりたる宏博なる蒐集は我邦に於て未だかつて見ざりし所なり

こちらは水澤工務店80年のあゆみ、いわゆる社史だけに部数は少なそうです。しかしその手掛けた建築物等図版にて収録されており、社史としてだけではなく、図版集としても参考になるでしょう。おそらくですが関係者のみに配布されたようなものですね。

水澤工務店80年のあゆみ
創業者水澤文次郎伝に近いものといたしました・将来より優れた技術集団を継承するための力と勇気を与えてくれるもの

私どもの創業者である水澤文次郎が、東京都港区芝琴平町に、町棟梁の一人として独立いたしました大正3(1914)年をもって水澤工務店の創業としております。そして平成6(1994)年に創業80年、また法人化いたしました昭和19(1944)年から50年 の節目を迎えることになりました。

この80年間を振り返りますと、わが国の激動する大正、昭和、平成にまたがる歴 史と重ね合わせて見ることができます。

関東大震災とそれに続く昭和初期の経済大恐慌、満州事変に始まり日中戦争から 大平洋戦争に至る戦火などの荒浪に、幾度となく押し流されそうになりながらも、 前半はただひたすら「納得のゆく良い仕事をしたい」と念じる一人の工人であった先代と、その仕事ぶりを愛でて下さったお得意様、建築家の諸先生、そしてそれら の仕事を共に支えてくれた人々との、苦しみながらも充実した日々であったと思われます。

戦後は幸い経済的繁栄にも恵まれ、吉田五十八先生、村野藤吾先生、谷口吉郎先生など、わが国を代表する巨匠の作品を手がけさせていただくなど、晩年にあって は思う存分の仕事ができ、満足な人生を送ることができました。

昭和48年にその先代を失いましてから、早いもので四半世紀が過ぎようとしてお ります。先代をはじめとする先輩の人々が築いた信用という大きな遺産に守られ、 志を継ぎながらも力の至らぬ私どもが今日ありますのも、ひとえにお得意様をはじ めとする関係各位の、時に応じたお力添えと、ご指導の賜物と、心より御礼申し上 げます。 さて現在わが国は、長年にわたる順調な経済発展から一転し、バブル景気の崩壊を境にきわめて複雑な構造不況を招くに至りました。また世のなかの変化は21世紀に向け今後よりいっそうの激しさを増すものと考えられます。

このような状況下にあって、私どもに与えられた課題は多く、 苦難の時代が続くと思われますが、会社、連業者が力を合わせ、従来からの伝統技術の維持発展とともに、新しい時代に即した技術の創意、工夫に日々地道な努力を重ねてゆきたいと思っております。

このたびまとめました冊子は、通常の社史とは多少異なり、創業者水澤文次郎伝に近いものといたしました。先代が故人となりまして長い年月が経ち、社し る人々の大半が先代を直接知らぬ世代となり、今後私どもに続いて水澤工務店のに 統を受け継いでくれるであろう人々に、先代をはじめ諸先輩が、いかに仕事に取い 組み、その時代を生き抜いてきたかをこの冊子から汲みとってもらい、それが将来より優れた技術集団を継承するための、力と勇気を与えてくれるものと信じ作らせていただきました。

しかし、このような企画が長年念頭になく、はなはだ資料不足の状態で編集に出 たることとなり、担当された神谷書房、また主として執筆に当たられた小松錬平牛 生に、たいへんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思うとともに、長期間にわた るご尽力に対し、厚く御礼申し上げます。

陽明文庫蔵・舞絵〔舞楽散楽図〕・法隆寺旧蔵・揩鼓・上野学園大学日本音楽史研究所創設以来40年にわたる研究の蓄積と成果踏まえた叢刊

日本音楽史学は、良質で豊富な史料が八世紀以来継続して伝存するという恵まれた環境にある。しか し、研究における史料の活用についてみれば、十分とは言い難いこともまた事実である。殊に、古代以 来の所謂「雅楽」、ならびに仏教音楽「声明」の両分野、すなわち日本音楽史の古代と中世前半の音楽、 およびその後の演奏伝承についての研究においては、十分に活用されているとは言い難い状態である。 昭和四年(一九二九)、当時指導的日本音楽研究家であった田辺尚雄は冒頭に、 日本音楽史の文献はこれまでの研究で使い尽くされ、これ以上研究進展の可能性はない。従って今 後は民族学の研究を志向するべきである(要約)。

(「日本音楽史」『日本風俗史講座 第九巻』雄山閣出版) と提案した。「文献は使い尽くされた」とする事実誤認による「日本音楽史閉塞説」と民族学への転向 を促すこの提案が繰り返し提唱されるうちに、日本音楽史研究は事実上、民族学的研究に集中し、音楽史研究はほぼ消滅状態となった。

また、本来、関係史料の収集・研究および成果公開等は国家が行うのが通例である。日本においても、 史学は東京大学史料編纂所、文学は国文学研究資料館があるが、音楽学には存在しない。現状では、国 立を含め音楽大学が史学的方法論に基づく実証的研究を行う研究者を養成できる体制にもなっていない。 その要因として、「皇国史観」の暗雲が去った第二次大戦後に、音楽史学をヨーロッパ芸術音楽のみに限定し、他は民族音楽学とする世界の音楽学の動向によって、東洋の音楽史研究が阻害されたという事実がある。岸辺成雄・平出久雄等はそのために筆を折った。

上野学園大学日本音楽史研究所は、明治維新までの日本音楽史の全時代、全領域にわたる研究を行う、唯一の日本音楽史の研究機関であり、創設以来「日本音楽史」の確立・進展に寄与すべく活動している。

一九六三年に日本音楽史料の収集に着手、日本音楽では最大級の史料を架蔵するに至った。七三年よりその基礎的研究を実施し、八○年代には史料展観をニューヨーク(一九八一年)とケルン(一九八六

年)にて開催し、同時にシンポジウム「音楽と文献学――日本とヨーロッパにおける十六世紀以前の音楽史料をめぐる諸問題」をケルン大学音楽学研究所と当所で共催した。さらに、二〇一四年には第一回 東洋音楽史研究国際シンポジウム「唐代音楽の研究と再現」を開催する等、日本音楽史の存在を証明し、 史料に基づく実証的音楽史研究の発展に寄与してきたが、如何せん未だ研究人口は少なく、したがって 当所の役割が十分に認識されているとは言い難い状況にある。

二〇一三年の日本音楽史研究所創設四十周年を機に新たな目標を掲げた。即ち創設以来一貫した研究 活動について、その成果を具体的に提示、公開し、広く批判を仰ぐことである。その一つとして、日本 音楽史研究に不可欠な重要史料に関する基礎的調査・研究の成果等を集成し、その普及・活用を図るた ら、ここに「日本音楽史料叢刊」を編纂・刊行するに至ったのである。

幸いこの研究事業に対し、高久国際奨学財団より研究助成を頂くことになった。これにより、永年の 懸案が実現の運びとなったのである。記して感謝の意を表する次第である。

福島和夫

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