薬用植物画譜・米刈達夫解説・小磯良平画お譲りいただきました。薬用植物の画集ですが、植物画は小磯良平によって手掛けられている珍しい画集です。知らなければあるいは薬用植物に興味がなければそのままスルーするところです。「不思議に思われる人もあると思うが」という東京大学名誉教授 朝比奈泰彦氏の言葉も頷けます。
純粋な画集ではないかもしれませんが、荻須高徳氏の指摘するように立派な小磯良平画集でもあるでしょう。
美術関係の人達にも
画家荻須高徳
刈米達夫先生の薬草の解説は、我々に も大変貴重な知識をさずけられるので ありますが、画家の私に、より以上の興味のありますのは、小磯良平君の薬草の写生画であります。 専門家に説明の出来る植物の細密描写は、大変な努力であったろうと察しますが、それだけでなく、小磯君の画風躍如たる絵としても、なみなみならぬ出来ばえで、これは立派な小磯良平画集でもあると存じますし、美術関係 の人々にも、大いに参考になり役立つものと考えます。
蜻蛉のスケッチ
東京大学名誉教授 朝比奈泰彦
現代、我国における最高級の小磯画伯の手になる薬用植物図譜と聞いて、不思議に思われる人もあると思うが、私の画伯に対する認識を紹介して、この 図譜に対する私の見解を明らかにすることは、無駄では あるまい。 大正の終りの頃、私は六甲の山荘に一泊したことがある。 その部屋に、私より前に画伯も来ておられ、スケッチ様 の画が描いてある紙片が散乱していたが、その内の一枚 に蜻蛉のスケッチがあった。そして、その羽片の渋味が 可なり正確に描かれたのを見て驚いたことは、昆虫学者 が蜻蛉を区別する一つの標準として使用する、三角室と 称する網の目が、はっきりと区別されていた。
ホンの一時の慰みに描いた図にも、昆虫専門家でない。 画伯が、要点をハッキリ掴んでいたことは驚くべきことで、この眼力ある画伯の描いた薬用植物図譜の価値がわ かるであろう。
私はもともと細かい描写をすることはきらいな方ではない。幾枚か描くのを続けているうちに興味が湧いてきて熱がこもる。そんな時の画は自分でもいい出来だと思う。 毎回そのような植物に出会えばいいのであるが,描きにくい植物というか、とっつきにくい植物というものもあるものである。写生する植物はほとんどが私の家まで運んでもらう。 根はついているが,たいてい土は洗いおとしてあるので、すぐに萎れてしまう。 受け取ってすぐ水に漬けておいても,水揚げが悪いというものは早速大急ぎで描き進めてゆく そんな時に限って、あくる日みれば水揚げがよくて、花も葉もしゃんとして向きが変わってしまっている。昨日仕事をしたことが何にもならなくなって失望させられる植物が生きていることがこんな場合には腹が立つ。
私は本職が画家である。何をおいても絵は描かねばならない.そのうえ私は教師をして いる。学校にも出席しなければならない.片手間仕事のつもりだったのが,後では相当 の負担になってきた.しかし一方植物を用意する武田薬品の農園関係の人達が、すべて の植物を,いい状態で提供しようとされるための気苦労も大変なものである.そのごま 労を理解しなければならないはじめはそれが判らないばかりに、何回かはすっぽかし たこともある.描く時間の都合がつかなくて,枯らしてしまったからである.またこの 植物は薬草として何を承知して描くべきかは、前もって一通りの説明は必ずあった.
しかし聞いても理解できない部分もあるらしく,一向に要求を満たしていない画ができ てしまって,農園側をがっかりさせていたこともあるらしい。そのことは後になって少 しずつ判ってきた。つまり植物についての無理解,また理解しようとしない私がこの 仕事に首を突っこむこと自体,そこに十分無理があったというべきかも知れない. しかし,京大農学部の諸種の図譜や武田薬品の書庫にある外国の植物図譜類を見て、このような見本を参考にしなければと欲を出したのは,半ばを過ぎ,画譜として一纏めに してはという議が起こりかけてからのことである.そこらあたりから外国の図鑑らしい スタイルと図柄を意識したものが幾枚かあるが,正直にいって毎回とてもそんな根気も ないことが判って,自分なりのものを描いてしまった.またその方がいいと言ってくれ る人もあって、ご覧のようなものになった次第である。 最後に、私の拙い植物の画に解説の労をとられた刈米博士に厚くお礼を申しあげたい、
昭和46年3月31日)