輪島塗等美術書お譲りいただきました。他に琉球古紅型等大判もの多くありがとうございました。

今日の輪島を代表する多くの漆芸作家作品・名工達の秀作が収録されている
私が輪島を初めて訪れてより、七十餘年の歳月が流れてた。 多くの漆器産地が、衰退もしくは量産化のため、化学塗料の導入や化学素地 などに切り換へていった中で、輪島は地味ながら傳統の道を着実に歩んできた と言へやう。終戰直後、原材料の欠乏や需要の低迷、輸出の是非や後継者の不 足等多くの難問題に直面し、私も少なからず輪島との関り合ひを持ちながら、 今日に到ってゐる。
世界に誇るべき我が国の漆藝の衰退を憂へ、昭和四十二年に石川県立輪島漆 芸技術研修所が設立された。その卒業生もはや百数十名にのぼり、明日の漆藝 を担ふ人々が育ち始めてをり、戰後の世代交替を実感させる。
私は幼少の時から漆の職人となることを目指してきたが、ここで言ふ職人と は、漫然と漆をこなして金銭に換へ、漆器本来の在り方をゆがめて安閑として ゐる様なものであってはならないと思ふ。漆を通して日々の仕事の中に創意と 工夫を織り込み、時代に即應し、人々の生活に役立つ物を作り続けてこそ、真 の職人と言へやう。
いま一つ、輪島に於ては形態の吟味にもっと留意すべきかと思ふ。素地の資材は、木胎に限らず陶胎・金胎・籃胎・紙胎・乾漆・皮革等、用途や風土に應じた使ひ分けが望ましい。素地は人間にすれば骨格に当るわけで、いかに表面の休漆や加飾に力をいれても、素地の不確かなものは単なる厚化粧に過ぎない。
形体美の上におかれてこそ、漆の真の價値が発揮される。近年、世間の傳統工藝に対する評價は喜ばしい傾向にあるが、これに驕らず、輪島塗を支へてきたものが先人達の研究と努力の蓄積であった事を忘れてはならない。
此の度、輪島塗の全容を表はす豪華図録が刊行されると言ふ。現在このやうな図録の刊行が可能なのは、休漆・蒔絵・沈金の優れた技術者を最も多く擁する輪島なればこそ、と言へやう。輪島塗は今一段と形態の美に力を注ぐべきかと思はれる。斯くして、機能的に優れた漆器に高めることにより、世界的な漆器産地たる條件を具備すると言ふべきであらう。この事が、日本の漆藝を世界 の人々にも喜んでもらへる第一歩になると思ふ。 「輪島塗」の発刊に当って、ここに一文を添へさせて頂く。 昭和五十八年 秋 五嶋耕太郎
発刊にあたって
今般、輪島漆器の集大成ともいえる「輪島塗」が京都書院より発刊されることになりました。誠に意義 深いこの編集を企画され又、これにご協力された関係者各位に、深甚の敬意を表したいと存じます。 | 輪島塗は、「塗る乾かす―研ぐ」の繰り返しの中から出来上ってくるものであります。布着せ、惣身地、 地の粉下地等から生まれる優れた品質は、蒔絵・沈金とあいまって、今日の日本を代表する漆器であると 自負しております。
輪島の塗師屋達は、日本各地を行商しながら、「より良い漆器」の必要性を肌で感じ、創意工夫に努力を傾け、練達した職人たちによって幾多の名品が製作されてきました。
昭和に入り戦中戦後の物資窮乏の時期、漆器生産は一時中断されはしたものの、戦後の日本経済の復興による国民生活の向上と共に、「本物」として輪島塗は見なおされてきました。こうした状況のなか産地の 中核として、輪島漆器商工業協同組合は、漆器技術の後継者養成を主要事業とし労働力の確保と労働条件の改善に努力するとともに、昭和四十六年より、輪島塗の貴重な資料の散逸を防止し、多くの資料を収集保存すべく、漆器資料館を開設いたしました。
本書にはこうした古い資料ばかりでなく、今日の輪島を代表する多くの漆芸作家作品、名工たちの秀作が収録されており、過去から現在に至る輪島塗があますところなく表わされていると思われます。まさに、
輪島の漆人の道標として、今に受けつぎ、後世につたえるべき財産とも申せましょう。
人でも多くの方々がこの「輪島塗」を御高覧、御愛蔵されることにより、輪島塗の足跡を識り、一つ一つの作品に込められた職人、作家達の心を見ていただき、併せて輪島塗のより一層のご理解にお役立て下されば幸いに存じます。