さいたま市岩槻区にて法隆寺献納宝物・国宝金銅透彫灌頂幡等各種美術書3箱買取事例

中でも今回気になりました本は法隆寺献納宝物・国宝金銅透彫灌頂幡、平成12年発行で非売品として発行されたものになります。著者は中野政樹になります。美術書は海外にも人気がりますので当社でも力を入れている分野になります。ありがとうございました。
限定500部 非売品 127ページ
この灌頂幡と呼ばれている金銅透彫の大幡は現在、東京国立博物館に保管され法隆寺宝物館で展示されているが、元来は奈良斑鳩の法隆寺に伝来したものである。明治11年に数々の寺宝と共に法隆寺から帝室に献納されたもので、一般に法隆寺献納宝物と呼ばれている由緒正しい宝物である。
この幡は法隆寺では聖徳太子が掲げられたものと伝えられ、長く崇敬されてきた。飛鳥地方の古老たちの話として、法隆寺に灌頂幡が翻ると、長幡が掲げられたから拝みに行こうと言って、村人はこぞって参詣に出かけたという習俗があったと伝えられている。この金銅透彫灌頂幡が、法隆寺の空に高く掲げられると、幡蓋は太陽の光に入って黄金色に輝き、透彫の美しさを見事に発揮して、天人を天空に飛舞させ、優雅な姿影を地上に映し出したであろう。往時の荘厳は想像を超えた美しさであったろう。

こちらはちょっと目を引く図録です。あまり見かけたことがありませんので、それほど発行部数は多くないのかもしれません。早大教授の安藤更生氏が研究グループ委員長を務める日本ミイラ研究グループによって行われた学術調査団のレポートです。安藤更生氏は毎日新聞社から日本のミイラを出版されていることでも知られています。

ミイラといえば,誰でもすぐ思い浮べるのはエジプトだろう。これにくらべて、日本のミイラのことは,いままでほとんど知られていなかった。わずかに東北の平泉にある中尊寺金色堂に眠る藤原三代の遺体が,ミイラ化しているのが有名な程度だ。
ところが,調べてみると今日,日本全国には二十数体ものミイラがあり、それぞれの土地で厚い信仰を受けているのである。特に山形県の出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)では,日本のミイラのメッカといってもよいほど、古くから沢山のミイラが作られたといわれ、今日もここには6体のミイラが残っている。
この展覧会は、その出羽三山にメスを入れ、「日本のミイラのナゾを解こうとした学術調査団のレポートである。正直なところ、日本のミイラ研究はスタートしたばかりであり,まだ残された問題も多いのであるが,ともかくこの展覧会によってミイラにこめられた。われわれ祖先の悲しみと喜びの歴史を汲みとっていただけたら,と念願する次第である。