今回は小粒でもピリリと辛いといった品揃え・主に歴史・民俗関係の本のご紹介です。中でも個人的に興味があるのは3点・東京国立博物館所蔵・幕末明治期写真資料目録と地下家伝・諸家伝と家系本末鈔。地下家伝・諸家伝はコトバンクでもご参照いただくとして、下記に2点を紹介させていただきます。東京国立博物館所蔵・幕末明治期写真資料目録はこれで4回か5回入荷がありますので比較的部数は出されているのかもしれません。家系本末鈔の取り扱いは今回が初めてです。
家系本末鈔:「家系本末鈔」はこれまで茨城県内の市町村史の参考文献に、ほとんどあげられてこなかった。 ただ「勝田市史」近世編で、外野の土豪鴨志田家の「鴨志田氏系伝略」と「家系本末鈔」に記載された伝記が比較され、興味深い考察がなされているにすぎない。この本は、姓氏の由来もさる ことながら、発刊された背景にも重要な歴史が秘められているのである。
「家系本末鈔」は明治三十三年十一月、茨城県平民、佐川礼勝が編さんし、佐川元之介によっ て発刊されたものである。佐川礼勝は茨城県那珂郡神崎村本米崎百七十番地に居住していた。本 米崎の地は佐川氏一族が古くから住んでおり、桜田烈士、海後嵯磯之介も同村の人であった。こ のことが佐川礼勝をして、「家系本末鈔」を編さんさせる動機の一因となったのである。発行は明治三十三年であるが、予約期限は三十一年ごろであり、二年近く発行が遅延していたのである。 編さんの目的は、前もって賛成を得た那珂・久慈・多賀三郡の住民の姓氏の由緒を明らかにす ることであった。佐川礼勝がなぜ、このような事業を個人の力で推進しようとしたのか。
東京国立博物館所蔵・幕末明治期写真資料目録:東京国立博物館資料部資料第一研究室が保管する、幕末から明治にかけて内外各地で撮影された写真から、台紙貼仕様の鶏卵紙写真を選び、その図版と基礎的データを収録した写真目録。
東京国立博物館が帝室博物館として創設されて以来収集された多岐にわたる古写真を初めて整理・公開。今回は総数2300枚強に上る台紙貼仕様のものを項目別に収録した。近代史、美術史研究等に必須の根本資料。
ということで何やら古めかしくも珍しい写真が多数収録されています。↓
「万国写真帖」全21巻の全貌
本目録に収録した「万国写真帖」(全21巻)は、慶応3年(1867)3月オランダより帰国した内田正雄によって将来されたものである。同写真帖の扉部分には標題と内田の5名 (OETIDA MASA-AKIRA)ならびに留学期間がオランダ語で記されており、「万国写真 」が「PHOTOGRAPHISCH WERELD ALBUM」の訳語であることがわかる。 文久2年(1862)、江戸幕府は洋式軍艦の建造発注先をオランダ(ドルトレヒトのキック ス兄弟造船所)に決定し、その建造の立会いと日本への回航を兼ねて近代海軍の諸技術を はじめ造船学・医学・人文科学等の修得のため総勢15名の留学生をオランダへ派遣する が、一行の諸取締役を務めていたのが内田であった。4年におよぶ滞在の後、慶応2年 (1866) 10月25日軍艦「開陽丸」の完成を機に内田を含む9人の留学生は新造艦の母国回 航のためフリッシンゲンを出航して帰国の途につく。帰国に際しての内田の将来品には】 獣類の剥製・貝類や植物の標本といった自然史関係の学術的資料のほか西洋の油彩画が知 られているが、前記の写真帖も含まれていたのである。
「万国写真帖』が内田のオランダ留学の折の産物であることは、彼自身が刊行した地理書 『輿地誌略』の凡例に記す「余嘗テ欧州ニ在リシ日余暇ヲ以テ各国ノ捉影画ラ聚番シ共数 幾ント三千冊数二十二満ッ」の文言によって明らかであり、同僚であった赤松大二郎の 『内田恒次郎小伝』中でも「和蘭へ行ってからも同く(絵)筆を執って居ッた、其傍ら写真 を荐りに蒐集して居た」と語られていて、内田が彼の地において精力的に写真を蒐めてい たことは留学生の間では周知の事実であったし、実際彼らの協力を受けている。
したがって、ここに収めた2308枚の写真はすべて慶応2年つまり1866年以前の撮影で あることが確実であり、なおかつ印画紙としての鶏卵紙の使用が1851年のコロジオン湿 板法の発明以降ということから撮影時期の上限が明らかである点で歴史的価値も高く、こ の時期の写真コレクションとしてはわが国有数の規模といってよい。
この写真帖が『万国写真帖』の名で東京国立博物館(当時は帝室博物館)に収蔵されたの は明治36年(1903)のことである。受入れ当時の記録によると、受理次第として東京市 下谷区(現台東区)上根岸町在住の平坂閔氏からの購入品とあり、購入価格は100円と記 載されている。