蕙斎略画全集他お譲りいただきました。各種まじっておりますが、今回紹介するのは、蕙斎略画全集と続日本紀 いずれも5冊セットです。ありがとうございました。

さて、以上のべてきたところから、意斎紹真が浮世絵師としての土台の上に、天性の才 分を駆使して独自の本格画の世界を開拓し、あるいは狩野の筆意を加え、大和絵をよろこ び、オランダ画の遠近法さえ考慮して、写生の上に写生をはなれ、またその間に一種いう べからざる滑稽味や洒落味をただよわせる新風をなしてきたことは明らかであり、また愉 快であるが、それらの諸要素を要領よく簡略化して、これまたさらに器用な工夫者の面目 を躍如たらしめたのが、いわゆる意斎略画式の数種である。
彼がはじめて略画式を刊行したのは、寛政七年(一七九五)のことといわれ、このとき 出版のものは、源豊宗『日本美術史年表』によれば『人物画式』ということになっている。 これが、今回刊行の『人物略画式』のもとをなす原板かどうかについて、私はまだ確かめ ていないが、いずれにせよ、この頃から彼の名を有名にした「略画式」が次々と刊行され たのは確かであろう。すなわち、寛政九年には『鳥獣略画式』、 同十二年には『山水略画式』、 享和二年には明らかに後の『魚貝略画式』の原図となった『竜乃宮津子』が刊行され、さらに十年余の間をおいて、文化十年六月には、上記の増訂改補板ないし複刻板とも想像される『人物略画式』と『魚貝略画式』があらわれ、つづいて同年十月には『草花略画式』の刊行が行われている。
それらの正確な考証については、なおその道の方の御教示を願いたいところであるが、ここでは鑑賞的側面から、これら各略画式の特色をたどってみよう。
まず『人物略画式』は、序言中に
「はやく一二編ありてよのすき人もまたなくめでぬればこたび猶のこれるふしを拾いてこの編をなせり」 とあるように、内容は幾通りかの画体にわかれている。浮世絵風のなまめいた風俗や当 世人物の写生があるかと思うと、北斎漫画の先駆とみるべき軽妙な奴風俗があり、さらに 漢画風の道釈人物があるかと思うと、大和絵風の公卿女房や源氏風の歴史人物などがある。 ことに興味があるのは何十人という群像を巧妙にまとめた画式で、いかにも作者の器用な 図のこなしが印象的である。要するに、意斎は浮世絵の土台に立って、一方では写生につ とめるとともに、他方ではさまざまな古典画式を参照し、狩野風、光琳風などをたくみに 自己流に溶かしこんだことが察せられる。
そのような軽妙さは『鳥獣略画式』には、いっそうすらすらと表われている。この一巻は序文中に童斎閑人が
「まづ彼に筆研を授け傍なる字書を閲し漫に鳥部の文字をあけて読む、随ってよみ 随って写す、終に獣部に及ぶ、瞬息の間に飛走市上に群をなす、筆勢の妙いはむか たなし、戸庭を出すして多く鳥獣の形を識りぬ」
といっているように、片端から一気呵声にどんどん筆を走らせていったものらしく、そ れだけ自由簡潔なこなしの妙と、筆力の冴えがあざやかであるが、逆に難をいえば、多少 筆の方が走りすぎて、やや物形の把握が粗末になっているものもある。
この一巻は、とくにぐんぐん画いたものだけにその欠陥もみえてきたのであろう。中で、虫魚の類は若干描法が細味のしまったものになっている。 _『山水略画式』は、また面目を改めて、狩野風の力づよく堅確な筆法を駆使しつつ、あ るいは山級をかき、樹木をあしらい、点景の家並や橋梁などを自在に配している。山水と いっても単なる一般的題材でなく、あるいは両国、妙見、洲崎、永代といったぐわいに、 各所の勝景を追い、中には隅田川全図や日本橋、品川などのように、見開きにわたって堂々たる風景を展開しているのもある。また富士山をのぞかせた金沢、江島鎌倉、吉原などもことに見ごたえある頁であろう。さらに大井川の渡しをこえて、二見浦、桑名から、近 江八景に入り、ついに京名所その他に至る構成は、さすがに鳥瞰図式風景画に好評を得、『東都五十景』『東海道名所図会六巻』『京都名所絵本都の錦』などの版画を出し、また江戸一目図などの快作を出した作者ならではの略画式といえる。この一巻は墨の濃淡のほ か、黄、淡朱、緑の彩色もこころよく、統一もとれて、中でも楽しみ多い一巻と見てよかろう。
文化十年刊の『魚貝略画式』は、内扉に「魚貝譜」の文字がみえているが、内容を点検 すると、享和二年春風堂野代柳湖の刀になる東都書林須原屋市兵衛板の『龍乃宮津子』のB 板本であり、全く同じ図柄ながら、細部には異動がうかがわれ、色彩も享和本の微妙さを 失なっている。さらに大きく違っているところは、享和本では神田玉池の一陽井素外述ベ るところの叙がついており、その中に書林申叔堂が社中の発句を乞うた旨が記されている ように、各図ごとに絵に応じた発句がいくつか掲載されている点である。たとえば第一図 でいうと、文化本では単に鯨とだけ記されているところを、「龍乃宮津子」ではとくに魚 名を出さず、
「錦車競ひきそふ一番もりをはっ鯨」
「冬央汐ふくもけに三熊野や大くらら」 といった二句を図上にのせている。要するに、ぜんたいに享和本は仕事ぶりが丁寧で、 神経が通っており、そえられた発句の多様さにも時代の好みが滲んでいる。同じような好 みが作様にも及んで、描線はデリケートに、色彩も朱、桃色、黄、墨色など淡雅の諧調が こころよく、味わいもこまかい。これら享和本の特色は、文化の改板の際にかなり粗っ く整理され、発句などは取りのぞいて略画式としての統一を計ったものと考えられよう。
とはいえ、この『魚貝略画式』で見ても、意斎略画式シリーズ中ではもっとも写生の 細なもので、作者が『人物略画式』や『鳥獣略画式』などでみせた単なる様式化、簡略化 の流暢さのほかに、一方に実物研究の土台をしっかりと求めていた事情をのぞかせて興味 深い。意斎という画家は、もちろん器用な工夫者であり、巧妙な才筆の持ち主であったに ちがいないが、別面では手がたい写生を主んじていたことが明らかである。蘭画の感化をうけたことも決して言伝えだけでなく、「さりながら功者にいたる時は写生をはなる事を大事とす」などと書きとめていたことは、逆に彼が写生の効用を十二分に理解していた事態を語るであろう。
さて、最後の『草花略画式』は、文化十年十月の刊行で、国学者岸本由豆流の
「花をめで月をあはれまんにもをこそか まほしけれさればむかし人も手ならひの かたへにはまつはこの道をこそまなはれしか」 といった式のやさしい序文がついている。内容も福寿草にはじまり、各種の優しい花々
を快適な筆致と淡雅な色どりで描破したもので、さすが五十の坂を越えたあとの円熟した 作者のゆとりある心技が滲み出ている。シリーズ中、もっとも充実した、やわらかい感じ の一巻であろう。他巻にみられる寄せあつめの印象や不統一なところがなく、今日でも十 分役立ちそうな風趣と豊かさをそなえている。
以上は、意斎略画式五巻の大まかな解説にすぎないが、これらは一種要領のいい画手本であると同時に、また江戸文明のもつ独特の風味を蔵したものである。そこには、当代文 化が生みだした洒落味、滑稽味、皮肉味とともに世態人情の現実と機微に呼応する一種庶 民的な気のきいた感受性がこめられている。短歌、川柳などの感覚とも共通するようなこ の感受性に立って、天賦の才質を駆使しながら、古典の勉強と写生研究の間に独特の略画 を形成したのが意斎紹真の芸境ということになるであろう。
この簡潔で要領のよい略画式シリーズが、北斎漫画あたりに先立つ江戸美術文化の一好例であることはまちがいない。
こちらは蓬左文庫本の続日本紀 同じく5冊本です。

蓬左文庫は、尾張徳川家の旧蔵書を中心に、 日本・中国・朝鮮などの優れた書物十一万点 示を所蔵する公開文庫です。
「重要文化財の『源氏物語』をはじめとして、 古くから読み継がれてきたいわゆる「古典」 を豊富に所蔵する事で知られ、まさしく「古典の宝庫」というにふさわしい文庫です。