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首斬り浅右衛門刀剣押形・福永酔剣 港区南麻布より 刀剣書宅配買取

首斬り浅右衛門刀剣押形

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担当スタッフより

首斬り浅右衛門刀剣押形送っていただきました。福永酔剣氏の2冊本。状態にもよりますが、基本的にこちらは単品での買取も可能です。今回は状態もよいものでした。ありがとうございました。

首斬り浅右衛門刀剣押形

浅右衛門押形について。

「そうそう、首斬り何とかいうのがいましたね」

刀の試し斬りの話がでると、誰でもそういう。刀剣はもちろん、歴史 にも興味のない人までがそう言うから、山田浅右衛門の存在は、こんに ちでも大衆の関心をひいていることになる。それにも拘らず、浅右衛門 の研究はこんにちまで、未開拓のまま放置されていた。その証拠には、 浅右衛門に関する単行本は一冊も刊行されていない。せいぜい週刊誌の 記事程度で終わっている。 果たして、それでいいものだろうか――。

ノー、と答えざるを得ない。山田家の果たした社会的な役割り、刀剣 界につくした業績などを想起すると、従来の記述は、群盲、象を撫する に似ているからである。浅右衛門の本職を、首斬り役人と誤解している 人の多い事実も、それを裏書きするものである。では、浅右衛門家が社 会的に果たした役割りは何だったか――。 – 第一は、徳川将軍家の蔵刀について、その斬れ味を試すことであっ た。これが同家の本職であったが、この事実も、あまり世間には知られ ていないようである。昔から首斬り浅右衛門』で通っているのも、そ れを実証するものである。

「第二に、死刑囚の首斬りは同家のアルバイトに過ぎなかった事実であ る。首斬りは元来、町奉行配下に”討ち役同心』というものがいて、そ れがやる建て前になっていた。それを浅右衛門が代行したわけだが、こ のことは、日本刑法史上からも、大いに注目されて然るべきである。 浅右衛門の各代が刎ねた死刑囚の首の数は、いずれも数千名に上っている。江戸だけでもこれである。全国を集計したら、それこそ大な数 字になる。そんなに厳罰主義を励行しても、いっこうに死刑囚の数は減 った形跡がない。この事実は、死刑の存廃がようやく世界的に、論議の 的になろうとしている今日、多くの示唆を含んでいると言わねばならない。

第三は、死刑囚の死体をつかって、刀剣の斬れ味を試し、その位列を 定めた功績である。刀剣本来の使命は、ものを切るにある。切れない刀 は日本刀ではない。従って、この刀はどのくらい切れるか、その刃味の 良否を検することは、新しく造った大砲の試射をしてみるのと同じで、 大きな社会的意義があった。それをやった浅右衛門の功績は、大いに認 めてやらねばならない。

第四は、同家が数代にわたって取り扱った、おびただしい刀剣の資料 をモトにして、刀剣書を刊行してくれた業績である。主著『古今鍛冶備 考』の真の著者は、下巻「解説編」で述べるとおり、ほかにいるが、出 版というカネのかかる仕事だけは、浅右衛門がいなければ不可能だっ た。その点、愛刀家は同家に対して、大いに感謝しなければならない。

第五は、同家で取り扱ったおびただしい数の刀剣を、煩をいとわず、 押形にとっておいてくれたことである。それには長さや出来などの説明 のほか、誰がいつ持ってきて、どのくらい斬れたかなど、詳細な書入れ がある。これを見ると、今日ではまったく忘却の彼方にあった刀の履歴 がわかって、たいへん有難い。「押形編」を見て、 「あれ、ここにうちの刀が載っている」と、すでに歓声をあげた方もあるだろう。実は著者もその一人であっ た。本書を編集しているうちに、ぞくぞくと見知りの刀がでてきて、歓 をあげた。

まず手近かなところでは、「押形編」第一○冊にでている景光の短刀 である。これは昨年の暮れ入手したものであるが、当時は何の履歴もついていなかった。ところが、押形の書入れをみると、相州(神奈川県) 荻野山中の藩主・大久保右近将監の蔵刀とあるので、びっくりした。 第四冊にでている藤原朝臣肥前守鎮忠は、本年二月、”昭和名物 (刀剣社選定)の審査にでたものである。 伝来がわからないので、「名張 川鎮忠」と命名することになった。ところが、あとで浅右衛門押形をみて驚いた。紀州家の蔵刀で、夏目弾正という藩士が試しに持ってきてい る。それでさっそく、「夏目鎮忠」と命名し直すことになった。

この興味津々たる押形集は、全部で二十九冊という老大なもので、そ の第一冊が綴じられたのは、文政八年(一八二五)八月であった。開巻 劈頭に、「前田丹後守様内山田浅右衛門 享保五年自分」、とあるところを見ると、その時分から採ってあった押形を貼りつけて、製本したこ とになる。こういう面倒だが、実りの多い仕事に先鞭をつけたのは、山 田源六吉貞であった。この人は、六代目吉寧が文政三年早世した跡を嗣 いで、七代目の当主となっていたが、同十二年の暮れ 離縁になってい る。従って吉寧とともに歴代のうちから除かれているが、『刀剣押形』 編集の功績は永遠に讃えられるべきである。

 

第二冊も吉貞が貼り込んだものであるが、表紙に「文政七申歳極月吉 日 源六」とある。すると、第一冊よりも先に出来たことになるが、上 野帝国図書館で購入し、新しく表紙を付けたさい、「享保五年自分」と あるほうを古いものと誤認し、これを第二冊としたためである。

第三冊は表紙に「刀吟味控帳」とあるとおり、山田家へ刃味の吟味 に来たものの押形であって、天保二年(一八三一)九月 の 起筆になっている。

第四冊は表紙に「押形」とだけあるが、内容の日付けをみると、天保 十二年の分となっている。

第五冊は天保十三年九月、第六冊は同十五年二月の起筆となってい る。

– 第七冊には表紙に「天保年中刀」と、細字で追記があるが、山田家へ 持参の日付けや人名のないものが多い。しかし天保八年や巳の四月・五 月などの日付けがある。巳を天保年間とすれば、四年のこととなる。

第八冊は弘化二年(一八四九)正月から、一か年間に採った押形を、 表紙に「イロハ附」とあるとおり、イロハ順に貼り付けたものである。

第九冊はもとの表紙が失なわれているけれども、六代目吉昌が弘化三 年正月、六冊の帳面を用意して、第一(第九冊)はイ、第二(第一〇冊) はカ、第三(第一一冊)はッ、第四(第一二冊)はャ、第五(第一三冊)は サ、第六(第一四冊)はスよりと、イロハ順に押形を貼り付けていった ものである。

第一五冊より第一九冊までの五冊は、嘉永元年(一八四八)十一月に、 「五冊の帳面を用意しておいて、採った押形をイロハ順に、貼りつけてい ったものである。それで第一五冊はイ、第一六冊はカ、第一七冊はッ、 第一八冊はヤ、第一九冊はスの部より始まっている。 以上のうちから、自分の愛刀あるいは剣友の蔵刀を探し出すのも、ま た愉しいものである。

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