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Tohgo Murano Selection・村野藤吾選集とTogo Murano Architectural Drawings・村野藤吾建築図面集買取させていただきました。

Togo Murano Architectural Drawings・村野藤吾建築図面集・8冊

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担当スタッフより

埼玉県川越市よりTohgo Murano Selection・村野藤吾選集とTogo Murano Architectural Drawings・村野藤吾建築図面集・8冊宅配買取させていただきました。

Togo Murano Architectural Drawings・村野藤吾建築図面集・8冊 Tohgo Murano Selection・村野藤吾選集

各巻の構成
THEATER & OFFICE 
日生劇場 1963 

千代田生命本社ビル 1966 のっぺりしたビルが幅をきかすなかで、彫り の深い外観をもった二つの建物は、今も瑞々 しい。事務所建築のなかの劇場、住宅地のな かの高層建築、ともに含みきれないものを含 み込ませてしまう、村野の力量に、驚かされる。

MUSEUMS & OFFICE 
小山敬三美術館 1975/1988 
八ヶ岳美術館 1979 
谷村美術館 1982 

村野、森建築事務所1966 小さな三つの美術館、小さな自身の事務所。 小規模ながら、村野の到達した美的水準の高 さを代表する作品である。谷村美術館は、隅々 残された村野のエスキスと実施図面を併置する構成をとった。

REST HOUSE & HOTELS 
箱根樹木園休息所 1971 
箱根プリンスホテル 1978 
新高輪プリンスホテル 1982 

小さなレストランと高原のリゾートホテル、 都市型ホテルの三作品で本巻を構成した。規 模の大きい新高輪は、事務所の原図だけでは 詳細を顕らかにしがたいので、施工者の作図した、竣工図を収録して欠をおぎなった。

HOUSES, RESIDENCE & TYASITUS 
天王寺・中橋氏邸 1941 
加藤氏邸 1952 
箕面・中橋氏邸 1953/1957 
指月亭 1959 
猪崎氏邸茶室 1965 
千代田生命本社ビル茶室 1966
帝国ホテル茶室 1970 

村野の作り出した、施主のための私的な空間 が本巻の内容である。椅子式の空間と坐式の 空間の調和の工夫。本格的数寄屋。小規模な がら見所は多い。帝国ホテル茶室は接客施設 ではあるが、あえて本巻に収録することとし た。尚、天王寺・中橋邸はすでに取り壊されてしまった。

SUKIYAI 
なだ万 山茶花荘 1976 
松寿荘 1979 

挙式を主とした数寄屋、立式を主とした数寄 屋の二作品である。山茶花荘は料理を供する 接客施設、松寿荘は企業の迎賓館と用途も異 なる。山茶花荘は、住宅の増築であるので、 旧建物の実測図を併録した。

SUKIYA II 
秀明 1982 
茶寮 恵庵 1985 

ともに新高輪プリンスホテルの付属施設。秀 明は鉄骨造、恵庵は木造であるが、構造の違 い以上に、二つの数寄屋の表情は違いがみら れる。村野の意匠語彙の豊富さを物語る。

SUPPLEMENTS 
各作品のスケッチ・スタディ・エスキス
設計/施工の担当者インタビュー 
村野藤吾略歴 
作品年譜
参考文献目録


村野は、渡辺節のもとで修業中に、商業オフィスビルの経済的基盤や 機構を研究する目的で渡米して、マッキム・ミード・ホワイとを学び、さらに 独立した翌1930年にはヨーロッパおよびソビエトにまで脚を伸ばし、デパート 建築の研究を重ねていった。

当時、村野は大阪そごう百貨店の基本設計を手がけており、おそらく村野の 胸のうちには革命後10数年を経たソビエトでのプロレタリアソシアリズムの建 気とは何か、そして具体的にソビエトのデパートの実態を確認する必要があっ た。

それは、当時の日本の思想的状況もソシアリズムの議論で賑わい、創宇社、 日本インターナショナル建築会などの組織的な活動が目立っていたからであ り、村野は自らマルクスの資本論を学びながら、進んでグループに参加するこ とは避け、むしろ自分の眼で欧米の新建築運動の動向を確かめるための旅行な のであった。

しかし革命後のモスクワの薄汚れた街区に建築家のデザインしたデパート建 築は、実用のみを目的とする物品配給所そのものであった。充たされぬ気持で モスクワからレニングラードに着いた村野は、自分の半生の生き方を決めるほ どの感銘を受けたという貴重な一冊の本との出会いを体験したのであった。

その本は、チェルホフの「現代建築学の基礎ーソビエト新興建築学のイデオ ロギー的原理」であり、帰国後、村野の序文が加えられ、昭和7年に翻訳刊行 され、広く読まれたものである。 しかし、この本に盛り込まれている内容は、 あきらかにソシアリズム建築でないことは確かであり、いわゆる断興モダニズ ムでもなかった。 村野にとって、チェルニホフの、作る者の心理まで立ち入っ た自由な想像力の展開と構成手法は、未知であっただけに新鮮であり、ショッ キングでもあったろう。

村野にとってソビエトへの旅が大きな意味をもったのは、社会主義体制のも とでソビエトに商業はなく、大衆の消費を通じての活力が生れず、そこに残る のは権力と伝統と科学である。その結果として造形的にはきわめて貧困な建築 がソシアリズム建築の実態であったという教訓を得ることに終ったのであっ た。

こうした体験から、村野が自信をもって単純な近代合理主義のドグマに組す ることなく、デビュー作の森五ビルで見せつけたパラペットのデザインの斬新 さ、光と影の効果の狙い、窓のディテールとプロポーションの厳しさなど、さ らにそごう百貨店に見られる、マリオンの単純な縦線による統一した新鮮なエ レヴェーションによって内部の機能を覆いかぶせたグラフィズム、表現派にも 近いデザインによって、商業建築の魅力を抽出するなど、村野は独立当初から

凡庸なモダニズムを超えた独自の革新への挑戦が意図していたと見るべきであろう。


発刊にあたって 

村野藤吾は、自他ともに認める厳格なるプレゼンチストであった。思想を拠りどころと する建築の構想を徹底的に排して、ただ社会経済的要請に如何に応えるかということに 腐心する。思想や理論を追求した建築作品の多くが、時代の思潮の変化のなかに埋没し 風化してゆくなかで、村野の建築作品がいまなお瑞々しさを失わないのは、彼の用意し た解答が確かなものであったことを物語る。

 村野はプレゼンチストであると同時に、極めて前衛的な作家でもあった。村野調と認め られる作品を作りつづけることにより、自身の手法・コンセプトを解体し再構成するこ とによって、常に自分にとって新しい意匠を追い求めて来た。そのことは時として、職 方に技術的に困難と思われる課題を要求した。その結果として生み出された意匠は、所 謂洋風和風建築の分野を問わず、日本の建築に新しい景観を生み出すことになった。 

本選集では、村野の基本設計図のほか、職方の施工図面を努めて収録した。中には、全 体の俯瞰が困難なほど詳細な部分の図面も含めた。村野と彼のスタッフが仕掛けた、言わば一種のパズルである。味読していただきたいと思う。

同朋舎出版


「秘技」を言語化する試み

村野藤吾の建築は、卓抜した能役者が舞いによって生み出す 空間を想わせる。それは静けさを漂わせながら、絶え間なく流 動する空間である。優雅この上ないけれども、心がひきしまる ような緊張感に満ちている。その空間を体験していると、舞い がゆっくりと進行していくように、空間は余韻を伴いつつ連続 的に変化する。

優れた能の身体が生み出す空間を、レオナルド・ダ・ビンチ の描いた幾何学に接する身体像と対比させて見れば、村野の建 築がいかに西欧の建築概念と異なる体系でつくられているかが 理解されるであろう。それは納まりやディテールの違いを超え て、建築に対する思想そのものの違いを示している。

これまで敢えて「秘技」として隠蔽されてきた彼の建築を言 語化する試みは、現代建築を考えるに際してきわめて有効な作 業に思われる。


池原義郎 建築家
推薦のことば 制作に捧げられた巨匠の態度を座右にすることを思う

私が村野先生に最後にお会いしたのは、亡くなられた前の年であったと 思う。阿倍野の事務所の中を案内して下さった。その時見せて下さったホ テルの20分の1の大きな油土の模型は部分的に着色されていた。表面の材 質の配分をスタディーされたその直の痕跡に、先生の日々と生涯の全てを 制作に捧げる姿を想い、強い感銘を受けたことを思い出す。

また、事務所の応接コーナーでお話をされながら、その傍にあった一つ の現寸模型を手にし、目の不自由な人がするように手探って居られた姿を 忘れられない。

制作の過程での姿、或いはその作家の制作の痕跡には、作品そのものだ けでは見ることができないその人の心と生き方を感じさせられる。それに 感動することは、私達にこの上もない貴重な力を与える。

巨匠が、人には見せない常住座弘・不断の修練とその生涯の全てを傾ける。 ことを想像させてくれる最も重要な素材が『Tohgo Murano SELECTION』 として出版されることを知り大きな期待をふくらませている。そして、あ の阿倍野での感動を座右のものとすることができるよろこびを思っている。


こちらは日本建築生産組織に関する研究・1959 渡邊保忠氏で図版集ではなく純粋に建築に関する論文集です。

日本建築生産組織に関する研究・1959・渡邊保忠

渡邊保忠先生の学位論文『日本建築生産組織に関する研究 1959』の主要部分は、『建築学大系4(旧版)』(彰国社,1957年)の「建築生産」で既に発表されてお りまた後年、その論旨を,現代建築の行方に投影されながら,のびやかな文体で

的確に論文の要点を概説された「工業化への道」(不二サッシ工業(株)発行の小冊子1963年)も公刊されたので,先生の研究内容は斯界によく知られたものだといえる。しかし,先生の学位論文は私家版で公開されたものであり、旧版の建築学大系も『工業化への道』も今では入手することは難しい。このような事情の他に1970年代初め頃からの先生の門下生の有志が先生への追悼と,混迷を深 める現代建築の状況への一石にとの想いから,先生の主要業績の一つである学位 論文の刊行を願い,本事業を推進することになった。現時点で刊行するからには 読みやすくする必要がある。文章の書き起こしや旧字旧仮名遣いの校訂のために 刊行委員の方々の特別な貢献が必要であった。また新しい読者には,「建築生産」 という言葉自体奇異にうつるかもしれない。「建築生産」とは,建築経済や施工, あるいは建築技術史が限定的に取り扱う分野にとどまらず,建築に関する生産史 的考察の方法の対象である。その方法を先生は自ら以下のように要約されている。 「時代の社会的生産力に対応する建築生産力のあり方,生産力の要因としての広 義の生産技術,技術の発動者としての建築計画経営組織と工匠組織,以上の前提 に立つ時代の建築家像とその建築創造の時代的課題,以上を総合して譲成される時代の建築様式」

ここには,建築の変化の過程を建築の具体的技術をめぐる社会的土台との連関 性として徹底して理論的に把握し,建築の全体像に迫ろうとする強固な意志が存 在する。先生には,先生が師事された会津八一流の芸術への憧憬と,戦後という 時代の子の一面でもある首尾一貫した論理性への追求という,相反するベクトル を感ずることもあったが,この論文は両方向の探求が深い次元で繋がっているこ とを、今も私たちに教えてくれる。 2004年9月18日


西欧建築が伝えられたころまでの日本建築の発展の大要を、手頃な図集として提供しよ うとするのが本書の目的で、改訂の機会に大幅に内容をかえた。固有名詞の読み方をロ ーマ字で書いたことから英文をつけるように発展したが、一つには編者の受持つ授業の 関係からもある。拝借した写真や図の出所は目次の次に記してあるが、一切の責任は編 者にある。許可された各位に厚く謝意を表する。先輩や同僚の助言をえた点も多く、ま た出版について相模書房の協力があり、併せて深く感謝する。
昭和43年2月 駿河台にて 編者


改訂新版にあたって
本書の原著は、日本建築史の教科書としてつくられたものであるが、同時に、日本の 古建築に関心をもつ海外からの来訪者のための入門書となるよう編集されている。した がって、建築史家小林文次博士が、永く、多様な日本建築の営みから、時代の本質を最 もよく表していると考えられる建築を厳選して紹介され、博士の史観と美意識が隅々までゆきわたっている。

博士の没後(1984)、15年目となる今も、その独特の史観の啓発力はいささかもおとろ えるところがない。原著に手をいれるには躊躇もあったが、教科書としての使い勝手を 考えて説明的ではあるが、図版を補充し、その後の発見で判明した事実などを加え、B6 判をB5判に改めて改訂新版を刊行することとなった。

改訂にあたって資料等の掲載許可を下さった関係機関並びに関係者の方々に厚く謝意 を表する。また、この度の出版事業に快諾を下さった相模書房社長の佐藤弘氏、編集 にあたられた担当の大西和代さんに厚く御礼申し上げる。

平成11年3月 改訂新版編集 日本大学理工学部建築史研究室
監修:片桐正夫


 

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