平安時代史事典などお譲りいただきました。

平安時代は、日本の古代文化が熟成し、裕かな稔りを結んだ時代である。これが盛行したのは、西紀八世紀末 から十二世紀の末葉に至る四世紀であるが、それは世界史上、稀に見る平穏な時期であって、人びとはまさに 「平安の和平」(Pax Heianna)を享受していた。 けれども平安時代は、ただ単に平和な時代としてのみ終始したのではなく、馥郁たる馨りを放つ独自かつ高度な文化が創成された点でも重要である。その伝統は、現代の日本文化の底流をなし、今なお躍如として栄光を放っている。にも拘らず平安時代の研究は、社会・経済や文学のそれを別とすれば、全般的に低迷を続けている現 状である。これは平安時代の歴史的重要性に鑑み、蔑ろにさるべきではないのである。
当協会が平安時代史の研究成果を整理し、更にそれを振興する目的をもって本書『平安時代史事典』の編纂を企画したのは、昭和四十六年二月のことであった。同年四月には、主要な研究者に呼びかけ、二十八日に東京都新宿区の日本出版クラブ会館、三十日に京都市左京区の楽友会館においてそれぞれ編輯会を催し、編纂の基本方針について種々協議した。その結果、パウリ・ウィッソーヴァ編『古典古代百科事典』(PAULY und Wissowa[begr.j, Realencyclopadie der classischen Altertumswissenschaft)に範をとり、小項目主義とし、典拠、文献を出来るだけ多く掲げ、編輯に学術的精密さを期す方針が打ち出され、当協会はこの路線に沿って事業を展開した のである。
爾来、今日まで二十余年の歳月が過ぎ去った。協会は この間編輯に努めたけれども、項目が二万余に及ぶこと、執筆者は一千余名に達し、然もそれぞれが記名原稿であるため、企画は容易に進捗せず、荏再今日に至っ た。これは逸早く寄稿して下さった方々には、申し訳ないことであって、ひたすら陳謝するばかりである。
しかしながら、漸く校正を終えた現段階では、編輯者が膏汗を注いだ甲斐があって見事な事典として姿を現し たと言う感が深い。刊行が甚だしく遅滞したために、本事典が平安遷都千二百年の年に刊行されるに至ったのは、図らざる奇縁であり、またその記念行事に参与する欣びを覚えるのである。
本事典の編輯には、多数の研究者の懇切な協力があった。就中、宇野茂樹・竹居明男両教授は度々編輯室に足を運び、原稿の校閲を初めとして数々の助言を賜った。ここに両教授の労を銘記して謝意を表する。
もとより本事典には、編輯者の力量の不足に由来する欠陥も少なくないであろう。これらは今後訂正されねばならないが、平安時代を対象としたこの種の浩群な事典の出現は、爾後におけるこの時代の歴史の研究に寄与するところが多いものと信ずる。
終わりに臨み、本事典のすべての寄稿者の各位、並びに完成を辛抱強く待機し、その間種々協力を惜しまれな かった角川書店に衷心より御礼を申し上げる。
平成五年十一月財団法人古代学協会理事長角田 文 福