皇国総海岸図地図含めて多数送っていただきました。本来この地図は3巻セットと別途解説もあるのですが、そのうちの2冊になります。もちろん復刻ですが、もとは黒船の来航が相次いだ安政2年に作成された手書彩色地図です。原本は国立公文書館に所蔵されています。別名日本海瀕実測明細図と言います。北は樺太千島から南は琉球諸島に至る大航海地図帳です。ありがとうございました。


すいせんの言葉
近世交通史および沿岸状況が判る好資料
学習院大学名誉教授 児玉幸多
交通史研究会会長 近年交通史の研究が盛んになってきて、多くの論著が発表されて る。しかし陸上交通に比較すると、水上、特に海運についての研 究は少ない。その主要な原因は、海運では港湾ごとに条件が異なり、 従って施設等も区々であって、支配者としても統一的または画一的な法規制を行うことはできず、法令等から海運の状況を知ることは 困難でああったことが一因である。勢い個々の航路や港湾についとそ れぞれの 特殊性を明らかにする必要があるので、全国的な海運史はそれらの研研究成果を踏まえてのものでなければならないのである。
今回復刻されようとしている「皇国総海岸図」は、近世末期の日 本全土にわたる大小の航路を明確にし、沿岸の集落や常夜燈、台場 の所在等を表示した詳細な絵図である。さらに絵図に添書して、航 路の里程や河海の深浅、港内の広狭等まで記述している。港によっ ては、東からは入港しやすいが、西からは入りにくいものもあり、 当時の航海技術としては潮流の強弱や方向を知ることは大事なこと であった。河村瑞賢の東廻り航路でも、房総半島を廻って江戸湾に 入るのに、三浦半島の三崎から伊豆半島の下田に向い、そこから西 南の風を待って江戸湾に入る方策を建てたのもそのためである。
本図はそうした航路及び付随する諸条件を克明に明らかにしてい る。水戸の徳川斉昭が幕末の海防その他の諸情勢に備えて、船手方 の役人に命じて作成させたもので、武蔵湾(江戸湾)から太平洋岸を 薩摩藩領に及び、次いで琉球諸島から日本海を経て陸奥に達し、さらに松前から太平洋岸を安房に達する、いわば日本列島を一巡する 航路図である。それに海路や造船についての権威者の解説が付けら れるはずである。航路ばかりでなく、沿岸の諸種の施設や、名所・ 古城地・社寺等まで明らかにすることができるので、交通史の研究 というばかりではなく、幕末の対外施策の一端を知ることができよう。
また徳川斉昭の対外交渉における諸種の発言や建策の背景には、 このような基礎調査も行われていたことを知ることができ、幕末史 の研究にも一役買うことであろう。
彩色の美しい絵図が原寸大で復刻されるということは、多くの方 がたに歓迎されるに違いないが、研究上にも大いに利用して、近世 交通史の発展に役立てて頂きたいものである。